江の島、戻り橋の話
Gさん(仮名・37歳女性・神奈川県在住・フリーランスのライター)からSNSのDMで届いた話。DMで6往復ほど追加取材させてもらった。場所は神奈川県藤沢市の江の島、本土と島をつなぐ「江の島弁天橋」と「江の島大橋」。観光地としては明るいイメージの強い場所だが、地元では「戻り橋」と呼ばれる時間帯がある、という話。場所と俗称はそのまま掲載することになった。同行した友人の名前は本人の希望で伏せ字。本筋はそのまま。
これは去年の夏、8月のお盆過ぎの話なんですけど。
私は神奈川県の鎌倉市に住んでいて、フリーランスでライターの仕事をしてます。
江の島は、子どもの頃から、家族で年に何回か遊びに行く、近所の観光地でした。
弁天様で有名な江島神社、稚児ヶ淵の磯遊び、岩屋の洞窟、夏は花火大会。
明るい観光地のイメージしかなかったんです、去年までは。
去年の8月、お盆過ぎの日曜日に、大学時代の友人と二人で、夕方から江の島に行きました。
目的は、夕暮れの稚児ヶ淵で写真を撮ることでした。
鎌倉から江ノ電で江ノ島駅まで行って、本土から島に渡る「江の島弁天橋」を歩いて渡る。
歩道を歩く渡り方が、私は好きでした。
橋を渡って、参道を上って、稚児ヶ淵まで降りて、写真を撮って、戻る。
島の中で過ごしたのは2時間くらい。
稚児ヶ淵から戻る頃には、夕方の6時を過ぎていました。
8月だからまだ明るかったけど、太陽は富士山の方に沈もうとしていた。
弁天橋の入り口、つまり島から本土に戻る橋の入り口で、私は友人に「橋の写真を撮って」と頼みました。
友人がスマホを構えて、私が橋の本土側を向いて立った時、橋の本土側、私の進行方向の歩道に、人影が見えました。
30代くらいの女性で、白いワンピースを着て、こちらを向いて立っていた。
夕陽を背にしているから、シルエットがはっきりしていた。
観光客かな、と私は思った。
夏のお盆過ぎの日曜日の夕方の江の島だから、観光客がたくさんいるのは当たり前でした。
ただ、その女性は、橋の歩道の真ん中に立って、こちらを見ていた。
歩いてもいないし、橋の手すりに寄りかかっているわけでもない。
立っているだけ。
友人がシャッターを切った後、写真を確認した。
「Gちゃん、この女の人、知り合い?」と友人が言った。
撮った写真には、私と、橋の手すりと、その向こうに、白いワンピースの女性がはっきり写っていた。
顔は、夕陽でシルエットになっていて、目鼻立ちは分からなかった。
「知らない人」と私は答えた。
二人で橋を歩き始めた。
橋の長さは250メートルくらい。
歩いていく方向に、白いワンピースの女性が立っていた。
私たちが近づいても、女性は動かなかった。
歩きながら、私は気づいた。
他の歩行者が、私たちと女性の間を、何人も通り過ぎていく。
観光客のグループや、カップルや、家族連れ。
誰も、橋の真ん中に立つ女性に気づいていないようだった。
観光客は女性を避けるでもなく、声を掛けるでもなく、女性のすぐ脇を通り過ぎていく。
私と友人だけが、女性を見ていた。
橋の半分くらいまで歩いた時、女性との距離は10メートルくらいになっていた。
私は友人に「あの人、ずっと立ってるよね」と小声で言った。
友人は「うん。あの人、見えてるの私たちだけかも」と言った。
私たちはそこで、足を止めなかった。
歩く速度を変えずに、女性に近づいていった。
女性との距離が3メートルくらいになった時、女性はゆっくりと振り返って、本土の方を向いて、歩き出した。
私たちは、女性の3メートル後ろを、同じ速度で歩いた。
弁天橋を渡り切って、本土側に戻った時、女性は本土の歩道で、こちらを向いて、また立っていた。
私と友人は、女性の脇を通り過ぎて、江ノ島駅の方に歩いた。
後ろを振り返らなかった。
江ノ島駅で江ノ電に乗って、鎌倉に戻った。
電車の中で、友人が「あれ、戻り橋って言うらしいよ」と言った。
友人は地元の人ではなかったけど、夫の祖母が藤沢の出身で、聞いたことがあったらしい。
「夕方の弁天橋で、観光客の中に紛れて立ってる女の人がいる時、それを見ちゃった人だけが、橋を渡って戻ってこられる」と。
「見えなかった人は、橋の上のどこかで、戻ってこられなくなる」と。
私はその話を、信じてはいない。
ただ、あの夕方、白いワンピースの女性が、私たちにだけ見えていた、というのは事実です。
そして、私たちは無事に橋を渡って、本土に戻った。
それから、私は江の島に行っていない。
夏の夕方の弁天橋を、もう一度歩く気にはなれない。
今年の春、私は江の島には行っていない。
ただ、去年同行した友人から、先月、メッセージが届いた。
「夏に、別の友達と弁天橋を渡った時、また、白いワンピースの女の人が立ってた」と。
「私たちは、見えなかった」と。
見えなかった、ということは、戻り橋の話の通りなら、橋を渡ってこられなくなる側、ということになる。
友人は無事に橋を渡って、本土に戻っている。
ただ、同行した「別の友達」が、それから1ヶ月、連絡が取れなくなっている、と聞いた。