戸隠神社、奥社参道で振り返ったときの話
Mさん(仮名・36歳女性・東京都内のIT企業勤務)から届いた話。場所は長野県長野市戸隠・戸隠神社奥社参道。随神門から奥社まで約2km、樹齢400年を超える杉並木で知られる場所。地元では「奥社参道で振り返るな」「杉並木の途中で女に呼ばれる」「九頭龍社の脇で異音がする」など、戸隠ならではの噂がいくつもある。Mさんが体験したのはそれとは少し違う系統の話だった。
これは私が一人で戸隠神社に行ったときの話で、戸隠は学生時代から好きで、もう5回くらい行ってる場所なんですけど。
その日は2024年の夏、8月のお盆過ぎの平日。
東京から始発の新幹線で長野まで行って、バスとタクシーを乗り継いで、戸隠の宝光社まで向かいました。
宝光社、火之御子社、中社、奥社の順で巡るのが私の中の決まりで、奥社に着いたのは午後の3時前くらいだったと思います。
奥社の入り口、つまり大鳥居から随神門までは普通の参道で、観光客もそこそこいた。
随神門を過ぎてから、有名な杉並木に入ります。
樹齢400年を超える杉が両側に並んで、参道の中央が一段低くなった石畳になっている、写真でよく見るあの場所。
杉並木に入ってからは、平日の午後ということもあって、人がまばらになっていきました。
前を歩いてた家族連れが私を追い越して、私の前後に人影がなくなったのは、随神門から500メートルくらい歩いたあたりだったと思います。
急に静かになって、自分の足音と、木の葉が揺れる音だけが聞こえる。
そこで、後ろから視線を感じました。
パワースポットに通ってると、たまに「気のせい」じゃない視線を感じることがあります。
ただその日のは、神様の気配みたいな清いものではなくて、もっと近くて、もっと低い位置からの視線。
地元の方から「奥社参道で振り返るな」って言われてるのは前から知っていたので、最初は振り返らずに、そのまま歩きました。
視線は消えない。
むしろ、距離が縮まってきている感じがしました。
追いつかれる前に、誰なのか確認したくなって、私はゆっくり振り返った。
誰もいません。
参道は両側の杉に挟まれた一本道で、隠れる場所はありません。
でも、参道の遠くまで見ても、人影はゼロ。
気のせいか、と自分に言い聞かせて、私はまた前を向いて歩き出しました。
10メートルくらい進んで、もう一度視線を感じて、振り返った。
女性が立っていました。
私の後ろ、25メートルくらい離れた場所。
黒っぽいワンピースのような服装で、髪の長い、痩せた女性。
顔ははっきり見えないけれど、こちらを見ているわけではなくて、参道の脇の杉の方を、横顔で見ているように立っていました。
さっき振り返ったときには絶対に居なかった。
でも、私が前を向いて歩いてた数秒の間に、25メートル後ろに人が現れる足音はなかった。
歩いて近づいてきた音もしなかったし、林から出てきた気配もなかった。
ただ、立っていた。
私は変に冷静になって、その場で携帯を取り出して、奥社の方に向き直って、何枚か写真を撮るふりをしました。
気持ちを整えて、もう一度振り返ったら、女性は同じ場所に、同じ姿勢で立っている。
距離も25メートルのまま。
こちらを見ようともしない。
歩き出したら、女性も歩いてくる気がして、私は早歩きで奥社の方に向かいました。
振り返りたい衝動を堪えながら、奥社の手前まで歩いて、最後の階段の下で一度だけ振り返った。
女性は、まだ同じ距離で立っていました。
違うのは、向き。
さっきまで杉の方を見ていたのに、今は私の方を、まっすぐ見ている。
私は階段を駆け上がって、奥社で参拝して、九頭龍社にも手を合わせて、ベンチで20分くらい呼吸を整えてから帰路に就きました。
帰り道、同じ杉並木を通って随神門まで戻る間、女性はもうどこにもいない。
すれ違うこともなかったし、参道の途中の脇道に入った形跡もなかった。
その日は戸隠中社の門前の宿に泊まる予定で、夜、女将さんに話す機会があったので、奥社参道で女性を見たことを話しました。
女将さんは、湯飲みを置いて、少し黙ってから口を開いた。
「随神門の中で、ひとりで行くときは、ちゃんと『連れはおりません』って心の中で唱えてから入ったほうがいいですよ」
意味が分からなくて聞き返したら、女将さんはこう続けました。
「ひとりで参道に入った人の後ろに、ときどき『連れ』としてついてくる方がいるんです。男にはあんまりつかない、女についてくる」
「奥社まで一緒に行って、参拝の途中で離れて、帰り道にはもういない」
「悪いものじゃないんだけど、だからと言って連れて帰っていいものでもないので」
私は、その日のうちに女将さんに教わった通りの所作を覚えて、東京に帰ってから、改めて自分なりに整理しました。
あの女性が「連れ」だったのか、別の何かだったのかは、今でも分からない。
ただ、戸隠の奥社参道は、それ以来一度も一人で行っていません。
必ず誰かと、二人以上で行くようにしています。
振り返って後ろに誰もいないことを、もう一度確認するのが怖いから、というのが正直な理由です。