日本坂トンネル、路肩に立つ男の話
Tさん(仮名・54歳男性・関東を拠点にする大型トラック運転手)から届いた話。場所は東名高速道路・静岡県焼津市と藤枝市にまたがる「日本坂トンネル」。1979年の追突火災事故で7名が亡くなった現場として、運転手の間では古くから「煙が見える」「焼けたトラックの陰に運転手の顔が映る」という噂が流れている。Tさんが体験したのは、火災事故とは別系統の話だった。
これは大型トラック運転手歴25年の俺の話で、もう何度も同じトンネルを通ってる中で、一度だけあったことなんですけど。
俺は関東の運送会社で、関東から名古屋・大阪間を週2、3回往復してます。
東名高速の上り下りを通るのが基本ルートで、日本坂トンネルは毎回通る場所。
運転手の間では昔から有名なところです。
1979年に多重追突の火災事故があって、7人が亡くなって、車両が183台焼けた、とされてる。
深夜に通ると、トンネルの中で焼けたトラックの陰みたいなものが見える、運転席の窓に運転手の顔が映る、煙がトンネル内に漂って見える、そういう話を、先輩運転手から何度も聞きました。
俺は20代の頃、その手の話を聞かされる度に「自分の番に当たったらどうしよう」と思ってた。
ただ、25年走ってきて、煙を見たことも、焼けたトラックの陰を見たこともありません。
本当の話はそういうのじゃなくて、別のこと。
去年の冬、12月の中頃で、関東から名古屋に向かう深夜便でした。
夜中の2時前後、東名上り、日本坂トンネルに差し掛かるあたり。
車線は3車線あって、俺は一番左の走行車線を90キロくらいで走ってました。
トンネルに入る直前、ヘッドライトの光の先に、走行車線の路肩のあたりに、人影が見えた。
高速道路の路肩、しかもトンネルの直前に、人が立ってるはずがない。
目の錯覚かと思って、ハンドルを軽く右に切って、距離を取りながら通り過ぎる準備をしました。
近づいた時、それは作業員でも警察官でもない、普通の格好の中年男性。
ジーンズに、グレーのジャンパー。手ぶら。
俺の方を見ていなかった。
高速の進行方向、つまりトンネルの中の方を、じっと見ていた。
立ち姿が、誰かを待っているようでもなく、迷っているようでもなく、ただ「トンネルの方を見ている」だけだった。
通り過ぎるとき、運転席の窓越しに、その男性を一瞬だけ視界に入れました。
目は合わなかった。
男性の視線は、トンネルの方に固定されたままだった。
俺はトンネルに突入して、そのままアクセルを踏みました。
煙はなかった。陰もなかった。
ただ、トンネルの中で、後ろのことを考えました。
ジーンズと、グレーのジャンパー。
あれは、夜中の2時に高速の路肩に立っていていい格好じゃない。
工事の作業員じゃない。バイクで止まっている人でもない。
じゃあ何だったのか。
トンネルを抜けて、藤枝のSAで休憩を取った時、俺はサービスエリアの売店で温かいコーヒーを買って、駐車場で5分ほど立ってました。
事故ったわけじゃないし、人を轢いたわけでもない。
ただ、ちょっと冷静になってから、運転を続けたかったんです。
コーヒーを飲み終えて、運転席に戻ろうとした時、俺はトラックの助手席側の窓に、自分以外の何かが映っているのに気づきました。
助手席の窓は、駐車場の街灯の光を反射していて、半分くらい鏡みたいになってた。
そこに、運転席に座る誰かの輪郭が、ぼんやり映っていた。
俺はまだ運転席に座ってない。トラックの外、助手席側にいる。
誰もいないはずの運転席の方に、人影があった。
輪郭は、ジーンズと、グレーのジャンパーの中年男性。
俺はトラックの助手席側のドアの前で、5秒くらい固まりました。
もう一度窓を見直した時、人影は消えていた。
誰もいない運転席が、街灯の光に照らされていただけ。
俺はトラックを諦めずに、運転席に乗り込んで、そのまま名古屋まで運転を続けました。
名古屋の倉庫で荷下ろしを終えた頃には、日が昇っていて、何もなかったかのように朝になっていた。
それから1年経って、俺はまだ日本坂トンネルを毎週通っています。
煙は見ません。焼けたトラックの陰も見ない。
ただ、深夜便でトンネルに入る直前は、左の走行車線の路肩を、なるべく見ないようにしてます。
見たら、もう一度、あの人がいるんじゃないかと、思ってるからです。