祖父から受け継いだ家の祠の話

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祖父から受け継いだ家の祠の話
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Uさん(仮名・56歳男性・関西で家業の不動産会社を継ぐ)から

これは身内の話なので、人の名前と土地の名前は伏せます。読んでいて気分が悪くなったら、途中でやめてもらってかまいません。

私はいま五十五。関東の北の方の、旧街道沿いの古い家に住んでる。

祖父が亡くなったときに、家と土地をそのまま相続した。父はもっと前に亡くなっていて、私は一人っ子だ。だから相続のときに親戚の間でもめることはなかった。

家は築六十年くらい。母屋と物置、それから敷地の北の隅に小さな祠がある。今日はその祠の話だ。

祠は石の台の上に木の小さな社が乗っているだけのもの。扉の中には何も入っていない。

前に榊を立てる竹筒と、水を上げるための白い小皿が置いてある。

祖父が建てたものではない。もっと前、祖父の父の代に建てられたものらしい。

祖父の兄、つまり私の大伯父にあたる人が、南方の戦線で亡くなった。遺骨は戻ってこなかった。家の墓には名前だけが刻まれている。

祠はその大伯父のために建てた。そう祖父から聞いていた。

うちの家訓は短い。祠を粗末にするな、それだけだ。

祖父は朝起きるとまず祠の水を替え、榊が枯れていれば取り替え、それから家の中に戻ってくる人だった。雨の日も雪の日も同じ。

私が子どもの頃、なぜ毎日やるのか聞いたことがある。

祖父は、戻ってこなかった人がいるから、とだけ言った。それ以上の説明はしてくれない。

祖父が亡くなって、私が相続したのが十二年前。

最初の二年は、祖父のやっていた通りに毎朝水を替えていた。

ただ、三年目から仕事の都合で単身赴任になった。家には妻だけが残るかたちだ。

妻は嫁の自分が触っていいものか分からない、と言って、祠には手を出さなかった。私もたまに帰ってくるくらいでは、毎朝の水替えはできない。

気がつくと、祠の小皿は空のまま。半年以上そのままになっていた。榊も枯れたまま、竹筒の中に黒く崩れて溜まっていた。

その年の秋に、母方の叔父が亡くなった。脳の病気で、急なことだった。

年が明けて、今度は父方の叔母が階段から落ちて足を悪くした。それから半年くらい寝たきりになって亡くなった。

さらにその夏、私の従兄弟の長男が、勤め先の工場の事故で亡くなった。まだ二十代。

一年半のあいだに、近い親戚で三人の不幸が続いた。集まりのたびに、何かよくないことが続くね、という話になる。

三人目の葬式の帰り道のこと。母の妹、私には叔母にあたる人が、車の中で私に聞いてきた。

あんた、祠はちゃんとしてるの、と。

私はそのときに、半年以上水を替えていないことを思い出した。

叔母は私の顔を見て、それ以上は何も言わない。祖父の代の集まりにもよく来ていた人で、家のことをよく知っている人だ。

私は単身赴任先から戻った週末に、祠の前に立った。

竹筒の中の榊は黒く崩れ、小皿の底には埃と虫の死骸がこびりついている。

それを全部洗って、新しい榊を立てて、水を入れて、しばらく祠の前で立っていた。何を祈ったのかは、自分でもよく覚えていない。

ただ、祖父に申し訳ない、ということだけは思った。

それから三年が経つけど、親戚の不幸はそれ以来止まっている。偶然かもしれない。

私は専門家じゃないので、因果のことは分からない。ただ、止まったことは事実だ。

いま私は単身赴任から戻って、家にいる。

朝起きると、まず祠の水を替えに行く。榊は月の半ばに替える。雨の日は傘を差していく。雪の日は長靴を履いていく。祖父がやっていたのと同じだ。

妻は今も祠には手を出さないけど、玄関の近くに榊と水を用意しておいてくれる。

大伯父の命日が八月の終わりにある。その日は線香も上げる。

戦没者名簿の写しが仏間の引き出しにしまってあって、命日の朝はそれを開き、名前のところに指を当ててから、祠に行く。これも祖父がやっていたことの真似だ。

家訓を粗末にするな、とは祖父は言わなかった。粗末にしたらどうなる、とも言わなかった。ただ、戻ってこなかった人がいるから、とだけ言った。

私はその意味が、十二年経ってようやく少し分かったような気がしている。分かった気がしているだけかもしれない。

もし同じように、家の敷地に古い祠があって、誰がいつ建てたのかよく分からない、というお宅があったら、できれば水だけでも上げておいた方がいいと思います。

深入りはしないでください。私が言えるのはそれだけです。

こっちにも、もうひとつ

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