将軍塚、夜の参道の話
Jさん(仮名・48歳男性・京都市内で個人タクシーの運転手)から、電話で1回約55分。場所は京都市東山区の「将軍塚」。794年の平安京遷都の際、桓武天皇が都の鎮護のため将軍の像を埋めた塚として伝わる。Jさんは「観光バスのコースには入っているが、地元のタクシー運転手は夜には行きたがらない場所」とのこと。場所と歴史的経緯はそのまま掲載することになった。同行した同業者の名前は本人の希望で伏せ字。本筋はそのまま。
これは10年以上前の話で、俺がタクシー運転手になって5年目くらいの頃です。
京都市東山区の将軍塚は、観光地としてはちょっと地味な場所です。
東山ドライブウェイを上っていくと、青蓮院の青龍殿、展望台、それから将軍塚があります。
昼間は観光客もそれなりに来るんですけど、夜になると、ほとんど人が来ない。
京都市内のタクシー運転手の間では、夜の将軍塚は「乗せたがらない場所」のひとつ、ということになっています。
理由は、人によって違います。「異音がする」と言う人もいれば、「客が降りた後、車に何かが乗ってる感じがする」と言う人もいる。
俺自身は、深夜に将軍塚まで客を乗せたことが、これまでに3回あります。
1回目と2回目は、何も起きませんでした。
3回目が、これから書く話です。
10年以上前の冬、12月の終わりの夜、午前0時を過ぎた頃。
京都駅の東口で、観光客風の男性を一人乗せました。
30代後半くらい、コートを着て、薄手のリュックを背負っていた。
「将軍塚まで」と言われた。
深夜の将軍塚は、観光地としては閉まっています。
「青龍殿は閉まってますよ」と俺は伝えました。
客は「展望台の方でいい」と答えた。
東山ドライブウェイを上っていく途中、客は無口でした。
後部座席で、窓の外を、ずっと見ていた。
将軍塚の駐車場に着いて、客はメーターの料金を払って、車を降りました。
「迎えはいらない」と。
深夜の駐車場から徒歩で展望台や将軍塚まで歩く、ということになります。
俺は車を旋回させて、東山ドライブウェイを下り始めました。
下る途中で、車の助手席側のドアの方から、軽く、ノックの音がしました。
コン、コン、と二回。
走行中の車のドアを、外側からノックする、ということは物理的に不可能です。
俺は速度を落として、助手席のドアを見ました。
ドアロックは、降りた客が降りる時にロックが掛かったままでした。
もう一度、コン、コン、とノックの音がした。
今度は後部座席の方から。
俺は車を路肩に止めて、エンジンを切りました。
車の中を見回して、誰もいないことを確認しました。
後部座席のシートベルトが、シートの上で、ぶら下がっていた。
降りた客は、シートベルトを外して、降りていったはず。
シートベルトが、自然な位置でぶら下がっているのが、なんとなく不自然に感じました。
本来なら、外した後はシートベルトがシートの脇に巻き取られて戻るはずなんですけど、後部座席のシートベルトは、シートの真ん中で、人の形に膨らんで、止まっていた。
俺は車から降りて、後部座席のドアを開けて、シートベルトを引き戻しました。
シートベルトは、なんの抵抗もなく、巻き取られて戻りました。
俺は運転席に戻って、車を出して、東山ドライブウェイを下った。
下る途中で、もう一度、ノックの音はしませんでした。
市内に戻って、最初のコンビニで車を止めて、温かい缶コーヒーを買って、駐車場で15分くらい立っていました。
それから10年以上経って、俺はもう、深夜の将軍塚には行かない。
客に頼まれても断ります。
京都市内のタクシー運転手で、深夜の将軍塚を断る運転手は、俺だけじゃありません。
理由を聞いても、皆、はっきり答えない。
「なんとなく行きたくない場所」というのが、地元の運転手の共通した感覚です。
ネットで「将軍塚 心霊」と検索すると、観光地としての紹介や、夜景スポットとしての話が中心で、深夜の話はほとんど見つかりません。
あれから10年以上経った先月、別の個人タクシーの仲間から、電話があった。
「将軍塚で、シートベルトの話、お前以外にも別の運転手から聞いた」と。
今度は、深夜じゃなくて、夕方の話だった。
客を降ろした後、シートベルトが、人の形に膨らんで止まる現象。
10年で、少なくとも俺と、その別の運転手と、合計3人の話があるらしい。
シートベルトが何を意味しているのか、俺たちタクシー運転手の間で、いまも答えは出ていない。