高島平、十四階の話
Hさん(仮名・58歳男性・元東京都板橋区在住・現在は埼玉県に在住・元都職員)から、共通の知人を介して連絡をもらった話。メールで4往復、その後通話で1回約45分、追加取材させてもらった。場所は東京都板橋区の高島平団地。1972年から入居が始まった日本最大級の団地として知られ、過去には「飛び降りが多発する団地」として広く報じられた歴史がある。Hさんは「報道された話とは別系統で、住人の間でだけ伝わっていた話」とのこと。場所と歴史的経緯はそのまま掲載することになった。同じ階に住んでいた住人の名前と部屋番号の特定情報は本人の希望で伏せ字。本筋はそのまま。
これは私が30代の頃、もう25年以上前の話で、いまも整理できてないので書いておきます。
私はかつて、東京都板橋区の高島平団地の14階に住んでいました。
高島平団地は、1972年から入居が始まった日本最大級の集合住宅だ。ピーク時には50,000人以上が住んでいたと言われている。
1970年代後半から1980年代にかけて、団地内での飛び降り事案が多発したことがマスコミで広く報じられた時期もあった。
私が入居したのは、1995年。報道のピークは過ぎていて、団地内には平穏な日常が戻っていました。
当時の私は東京都の職員。独身で、団地内の単身用の部屋に住んでいた。
14階建ての棟の14階、いちばん上の階の角部屋です。
入居して半年ほど経った頃から、深夜に、共用廊下で物音がするようになりました。
深夜2時から3時の間。
誰かが廊下を歩いている音、というよりは、誰かが廊下に立って、ゆっくり呼吸している、という気配です。
最初は気のせいだと思っていた。
団地は古い建物で、廊下の音が部屋に響くのは、普通のことだったからだ。
ただ、深夜2時から3時という時間帯と、毎晩同じ位置で気配が止まる規則性。気のせいでは説明できなくなりました。
気配の位置は、私の部屋の玄関ドアから、5、6歩、廊下を北に進んだ場所だった。
そこに何があるか、私は知っていた。
1995年の夏、隣の角部屋、私の部屋から廊下を北に5、6歩進んだ場所の部屋に住んでいた高齢の男性が、その部屋の中で亡くなっているのを発見されました。
病死で、孤独死でした。
発見されたのは、亡くなってから1週間ほど経った頃。部屋の周辺の住人が異変に気づいて、管理人に連絡したことがきっかけだった。
私が入居したのは、その男性の部屋のすぐ隣。
気配が出始めたのは、その男性が亡くなった部屋の前に、住人が立つ位置でした。
「亡くなった男性の幽霊だ」と私は思いませんでした。
気配の高さや、呼吸の感じが、男性のものではなかったからだ。
もっと小さい人。子どものような気配でした。
私はある夜、思い切って、玄関ドアを開けて、廊下を覗きました。
深夜2時半。共用廊下は蛍光灯がついていて、明るかった。
誰もいなかった。
ただ、亡くなった男性の部屋の前、廊下の真ん中に、誰かが立っているような、空気の凹みがあった。
凹み、という表現が正確かは分からないんですけど、その場所だけ、廊下の空気が、人の形に押しのけられている感じがしました。
私はドアを閉めて、部屋に戻った。
翌朝、団地の管理人室に行って、亡くなった男性のことを聞きました。
管理人は、男性の家族構成について、亡くなる前は一人暮らしだったが、十数年前までは小学生の孫娘と二人で暮らしていたことがある、と教えてくれた。
孫娘さんは小学校5年生の頃、団地内の別の棟の14階から飛び降りて、亡くなった、と。
1980年代の話で、報道もされていた、と。
男性は孫娘を引き取って育てていたが、孫娘が亡くなってから一人暮らしになり、20年以上、ずっと同じ部屋に住み続けていた、と。
その話を聞いて、深夜の廊下の気配が、男性ではなく、孫娘さんなのかもしれない、と思いました。
なぜ祖父の部屋の前に立っていたのか、なぜ男性が亡くなった後も立ち続けたのか、私には分からない。
ただ、男性が亡くなってから半年経った頃、深夜の気配は、ぴたりと消えました。
私はその後、5年ほど高島平に住み続けて、結婚を機に転居した。
気配が消えてからは、何も起きませんでした。
あれから25年以上経って、いまも高島平団地の前を電車で通る時には、14階の角部屋の方を、なんとなく見上げてしまう。
「飛び降りが多発した団地」という報道は、当時広く流れていました。
ただ、私が体験したのは、報道された話とは違う系統の話だった。
亡くなった子と、亡くなった祖父と、その間に半年ほどの空白があった、という話です。
ネットで「高島平 心霊」と検索すると、いまも飛び降り関係の話ばかりが出てくる。
私の話のような、住人の間でだけ伝わっていた話は、ほとんど見つかりません。
あれから25年以上経って、私はもう高島平には住んでいない。
ただ、転居後も年に1回、団地の自治会の同窓会に顔を出してきた。
去年の同窓会で、当時14階の角部屋、私の部屋の隣で亡くなった男性の部屋に、その後入居した若い夫婦から、話を聞いた。
「入居して3年経ったが、廊下から子どもの声が聞こえることがある」と。
「うちには子どもはいない」と。
私が入居していた頃と、同じ時間帯、同じ場所だった。
孫娘さんが、まだそこに立ち続けているのか、私には分からない。