祖父の山小屋、毎年8月15日に必ず訪れる老人の話
目次
Kさん(仮名・52歳男性・栃木県の自営業)から届いた話。祖父の代から続く山小屋に、毎年8月15日前後に必ず訪れていた老人の正体を、祖父の死後5年かけて追跡した経緯。
管理人としては、家族の記憶と土地の歴史が長期間にわたって絡み合う類の話で、Kさんからの取材は半年かけて4回に分けて聞かせていただいた。
祖父の山小屋
Kさんの祖父は、栃木県北部の山間部出身で、戦後すぐの時期に集落の外れに山小屋を建てた。林業の作業小屋として使い、後に家族の避暑地としても使った場所。築70年以上、現在まで残っている。
祖父は晩年まで毎年夏に山小屋を訪れて、1週間ほど滞在する習慣を続けていた。父の代に管理が引き継がれ、Kさんも子供の頃から夏休みのたびに連れて行かれた記憶がある。
毎年8月15日の来訪者
Kさんが小学生の頃から覚えているのは、毎年8月15日前後に、知らない老人が必ず山小屋を訪ねてくることだった。
老人は祖父より少し年下に見えて、いつも黒っぽい上着を着ていた。山小屋の入り口で軽く礼をして、「ご無沙汰しています」と挨拶する。
祖父は老人を中に招き入れて、二人で30分ほど話をする。会話の中身を、Kさんは子供だったので詳しく覚えていない。ただ「久しぶり」「お変わりありませんか」という挨拶の言葉が、毎年同じだった印象だけは残っている。
老人は『祖父の戦友』と名乗った
Kさんが中学生になった頃、祖父に「あの方は誰なの」と聞いたことがある。
祖父は「戦時中に一緒だった人だ。約束で、年に一度、ここで会うことになっている」と答えた。
「祖父は戦時中、20代前半で陸軍に入隊していました。詳しい配属先は家族にも詳しく話したがらない人で、私も多くは聞きませんでした」
祖父の死、5年前の夏
Kさんの祖父は5年前、95歳で亡くなった。Kさんが47歳の年だった。
祖父の通夜と葬儀には、家族と集落の人たちが集まったが、毎年来る老人の姿はそこになかった。「住所も連絡先も知らない方だったので、訃報の連絡もできませんでした」
Kさんは、祖父の死で老人との接点は消えたと思っていた。山小屋の管理はKさんが引き継いだが、もう老人は来ないだろう、と。
祖父の死後、最初の8月15日
祖父が亡くなった年の8月15日、Kさんは父の49日の供養を兼ねて、山小屋を訪れていた。
午前11時頃、山小屋の入り口に人の気配があった。Kさんが扉を開けると、いつもの老人が立っていた。
「ご無沙汰しています」と老人は言った。
Kさんは事情を説明した。祖父が前年に亡くなったこと、自分が孫であること、今は自分が山小屋を管理していること。
老人はしばらく黙って、「そうですか。承知しました」と答えた。山小屋の中には入らず、入り口で礼をして、来た道を戻っていった。
祖父の遺品から見つかった写真
その秋、Kさんは祖父の遺品整理を本格的に始めた。祖父の書斎の引き出しから、古い白黒写真が数枚出てきた。
1枚は、若い兵士たちの集合写真。10人ほどが並んでいて、その中央付近に若い祖父がいた。撮影時期は写真の裏に1944年と書かれていた。
集合写真の中で、祖父の隣に立っていた若い兵士の顔が、Kさんの記憶にある老人の顔と重なった。
「年齢を逆算してみると、当時20歳前後だった兵士が、現在90代前半。私が見ていた老人の年齢と、矛盾しない」
集落への問い合わせ
Kさんは、祖父の集落に長年住んでいる年長者数人に、写真を見せて聞き取りをした。
集合写真の他のメンバーについては、戦死された方、戦後に他界された方、行方不明のままの方、と説明された。「ただ、祖父の隣の若い方については、誰も身元を知らないという返事でした」
戦友会の名簿を当たった
翌年、Kさんは祖父が所属していた連隊の戦友会の名簿を、家族のつてで入手した。
名簿には、戦後の生存者の名前と連絡先が記されていた。祖父の隣に写っていた人物の名前は、Kさんの予想ではこの名簿にあるはずだった。
名簿を確認した結果、その人物の名前は『1945年の沖縄戦で戦死』と記載されていた。
「戦死されている、と書かれていました。私が毎年見ていた老人は、戦死した方ということになります」
翌々年の8月15日
Kさんは、その情報を持って、翌々年の8月15日に山小屋を訪れた。
午前11時頃、いつもの時刻に、入り口に老人が立っていた。Kさんは扉を開けた。
「ご無沙汰しています」と老人は言った。
Kさんは、戦友会の名簿のことを話そうかと迷ったが、最終的に「ご無沙汰しています。お変わりありませんか」とだけ返した。
老人は「お変わりなく。ありがとうございます」と答えて、山小屋の中には入らず、いつものように来た道を戻っていった。
その後の毎年
Kさんは現在、毎年8月15日に山小屋を訪れて、午前11時頃に入り口を見ている。老人は時々訪れて、時々訪れない。「来る年と来ない年の区別はつきません。ただ、扉を開けておくことだけは続けています」
祖父の戦友だった、と祖父が言っていた言葉の意味を、Kさんは現在も自分の中で消化しきれていない。戦友という関係が、生死を超えて続いていた、というのが、Kさんが今まで取材した中で見つけた最も納得できる解釈だった。