夜勤中、空き病室にいた人の話
Sさん(仮名・38歳女性・道東の総合病院で日勤の看護師)から届いた話。
Sさんが20代の終わり頃、道東の総合病院で夜勤に入っていた時の経緯だという。
その病院にSさんは新卒で入り、7年目の夏まで勤めた。北海道の東の方、もとは炭鉱の町だったところに建つ病院。閉山は昭和の終わりで、町の人口は当時の10分の1くらいまで減っていたという。
「それでも周辺の集落から患者さんが来るので、内科と整形と外科だけは残されてました。規模のわりに、夜勤帯はそれなりに忙しかったんです」
建物は古い棟と新しい棟に分かれる。新しい棟は平成に入ってから建て増した3階建てで、Sさんたちが日常使うのはほとんどこちら。古い方は西病棟と呼ばれ、もとは炭鉱で働く人とその家族のための病院だった頃の建物らしい。
1階の一部がリハビリ室と倉庫に使われ、2階より上は基本的に閉めてあった。患者が増えた時だけ、2階の一部を一般病床として開ける、という運用。
その夜、西病棟の2階には3人だけ患者が入っていた。8月の盆明け、新しい棟が満床になっていた。夜勤はSさんと2年目の後輩の2人体制で、後輩が新棟、Sさんが西病棟の見回りに回る。
「主任からの申し送りで、2階の3号室は今日の朝に退院が出たので空床、奥の5号室の女性は不眠が強いから様子見て、と言われてました」
夜中の2時の見回り。
西病棟は廊下の蛍光灯を半分落としてあって、足元灯だけで歩く。カートは押さず、懐中電灯と申し送りメモだけ持って上がる。エレベーターは古いやつで夜は止めてあるため、階段で行く。階段室はコンクリートが剥き出しで、夏でもひんやりしていた。
2階に着いて、まず手前の1号室を覗く。男性の高齢の患者で、よく寝ている。点滴の落ちも問題なく、扉を半分閉めて次へ。
次が3号室。空床のはずの部屋。
扉は普段から少し開けてあって、中が見えるようになっていた。空床でも一応中を見るのがSさんの習慣。ベッドが4床ある大部屋で、窓際の1床が、朝に退院した方の使っていたところ。
その窓際のベッドに、人が寝ていた。
シーツの上に布団がかかり、頭の方が少しだけ盛り上がっている。輪郭からすると、たぶん年配の女性。白髪が枕の上に少し見えていた。
「申し送りで聞いてないけど、夕方に入院が入ったのかもしれない、と思ったんです。それで一度ナースステーションに戻って、当直の入院記録を確認しようとしました」
階段を降りる途中で、足が変に重たくなって、踊り場で一度立ち止まる。何かおかしいとは頭の中で思っていた。それが何かは、その時はまだはっきりしない。
ナースステーションに戻って記録を見ると、夕方以降の入院はなかった。後輩にも聞く。後輩は、西病棟は今日は3人のままです、と。
3が空床のはずなのに人が寝ていた、とSさんは言った。後輩は変な顔をして、もう一度一緒に見に行きますか、と言ってくれる。
2人で西病棟の2階にもう一度上がった。3号室の扉は、さっき開けたままになっている。中に入って電気をつけた。
窓際のベッドは、ぴったりシーツが張ってあって、布団は綺麗に畳んである。誰も寝ていない。シーツに皺もない。
後輩は、見間違いじゃないですか、と言ってくる。Sさんは、はい、と答えるしかなかった。ただ、自分の中では見間違いだとは思っていない。輪郭も、白髪の感じも、ちゃんと覚えている。
「怖いというより、申し送りに載っていない患者がいた、ということが、業務として気持ち悪かったんです」
その後、5号室の女性の様子だけ見て、2人で新棟に戻る。残りの夜勤は何事もなく終わった。
朝の申し送りで、一応主任にだけ昨夜のことを話した。主任はメモを取りながら聞いて、最後に少し黙ってから、あの部屋ね、と。それ以上は何も言わなかった。
同期に後で聞いたところでは、西病棟の3号室では、Sさんが入る前にも何度か似たような話があったらしい。同期も一度見たことがあるという。窓際のベッドに、いるはずのない年配の女性が寝ている、という話。いつも夜勤帯の見回りのときに見つかる、と。皆あまり口に出さない決まりみたいになっていて、新人のSさんには伝わってこなかった。
その夏の終わりに、西病棟の2階は閉鎖される。表向きは老朽化が理由。新棟の増床計画が出て、2階の患者は全員そっちに移された。
Sさんはその病院をその2年後に辞めて、いまは札幌の方で働いている。
一度、用事があって町を通ったときに病院の前を通りかかった。西病棟の建物だけは取り壊されないまま残っている。窓は全部、内側からベニヤで塞いであって、2階のところだけ、ベニヤが新しい板に張り替えてあるように見えた。気のせいかもしれない。
ただ、その2階の窓のうちの1枚が、3号室の見回りに上がったときに見ていた、あの窓と位置が同じだった。
その建物がいまどうなっているのかは、知らない。あえて調べていないだけかもしれない。