仕事で行った廃校の話
Iさん(仮名・44歳男性・自治体の文化財調査員)の話。以前別件の取材でお会いした方で、メールで4往復ほどあらためて伺った。仮名と地名ぼかし条件で承諾をいただいている。
これは文化財調査の仕事で、山の方の廃校に入った時の話なんですけど。
自分は中部地方の市役所勤め。配属は教育委員会の文化財係です。
地域の旧家から寄贈された古文書の目録を作ったり、市内に残ってる近代建築の現地確認に行ったり。それが普段の仕事なんです。配属四年目で、現場に出るのも慣れてきた頃でした。
その日は、合併前の旧村域に残ってる木造の分校の調査。市の所有になってから十年以上経っていて、外壁の傷み具合を見る、というのが表向きの目的でした。
書類上、学童疎開の受け入れ施設として戦時中に使われた記録があった。それに関する備品が校舎内に残ってないか確認する、というのも合わせて頼まれてたんです。
同行は係の先輩で、自分より十歳ほど上の人。普段は口数が少なくて、現場に出ても余計なことをしゃべらないタイプ。
市役所から軽自動車で1時間半ほど。舗装が途中から砂利に変わる林道を、ゆっくり上っていきました。
校舎は山の中腹、棚田の段の上に建ってます。二階建てで、屋根のトタンは赤茶色に錆びてる。運動場だったところは一面、丈の高い夏草に覆われてました。
鍵は教育委員会の倉庫から持ってきていて、玄関の引き戸は思ったよりすんなり開いたんです。
中は思ったほど傷んでません。床はささくれ立ってましたけど、踏み抜けるほどではない。廊下に上がっても足音が普通に響くくらいでした。
先輩が一階の職員室と倉庫の方を見るというので、自分は二階の教室を順番に見ていくことになりました。手元の台帳に、教室ごとの寸法と備品の有無を書き込んでいくだけの作業。
二階の一番奥が、戦時中に疎開の児童が使ってたとされる教室です。机と椅子は閉校の時に処分されたらしくて、何も残ってない。床に光の筋が斜めに落ちていて、窓の桟にうっすら埃が積もってました。
自分は黒板の方に近づいて、サイズを測ろうとしたんです。
黒板に、文字が書いてありました。掠れたチョークで、上の方に小さく、ひらがなで何か。書きかけのまま途中で止まっていて、最後の一字だけが線として伸びて、右下に流れて消えてました。
自分は最初、閉校の時に誰かが残した落書きかと思ったんです。ただ、文字の感じが、大人が書いたものではない。一年生か二年生が、習いたての字を書いたような形でした。
台帳に書き写そうとして、手帳とペンを構えたところ。廊下の方から音がしました。
パタ、パタ、と軽い音。スリッパの底が床に当たる音です。間隔は子どもの歩幅でした。
教室のドアは開けっぱなしにしてあって、廊下は自分が歩いてきた一本道。音は、自分が来た方とは反対の、突き当たりの階段の方から近づいてきました。
自分はその場で立ち止まって、ドアの方を見てた。音は、教室の前を通り過ぎません。ちょうど自分の真横、教室と廊下の境のあたりで、止まった。それから、聞こえなくなったんです。
怖いとは思いません。というより、頭がそこまで回らなかった。先輩を呼ぶか少し迷って、結局呼びませんでした。あとから考えると、呼んだところで何と言えばいいのか分からなかったんだと思います。
自分はそのまま黒板の寸法を測って、文字のことは台帳に書かない。書く欄が見つからなかった、というのもあります。
一階に降りると、先輩が職員室の机の引き出しを見てました。自分が二階の様子を簡単に伝えると、先輩は、ああ、と短く返事をしただけ。何か聞かれることもありません。
校舎を出て、玄関の鍵をかけて、軽自動車に荷物を積み直しました。日はまだ高い。運動場の草の上を、赤とんぼが何匹か飛んでたんです。
帰りの林道は来た時より長く感じました。途中の沢のところで、先輩がハンドルを握ったまま、窓の外を見てる。砂利を踏むタイヤの音だけがしばらく続いて、舗装路に出るあたりで、先輩がぽつりと言いました。
「あの学校、もう二度と行かない」と。
自分は何も聞き返せませんでした。先輩はそれ以上、何も言いません。ハンドルを切って、いつもの国道に出て、それからは普通に世間話をして帰りました。
職場に戻って報告書を書く時にも、二階のことは触れなかった。先輩も、自分の書いた報告書に目を通しただけで、何も直さなかったんです。
あの日以来、その分校の調査は別の係に振られたらしくて、自分のところには回ってきません。書類の上では、外壁の傷みについての所見だけが残ってる。
黒板の文字が何だったのか、自分はいまも分かりません。スリッパの音についても、誰かに話したことはない。先輩があの時、何を見ていたのか、何を聞いていたのか、聞く機会もないまま今に至ってます。
ただ、あの一言だけが、ときどき思い出されるんです。何かが起きたわけでも、誰かが出てきたわけでもないんですけど、自分にとってはあの一言が、いちばん長く残ってます。