横須賀、倉庫の鍵の話

約5分
横須賀、倉庫の鍵の話
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Mさん(仮名・52歳男性・神奈川県横須賀市の港湾労働者)からメールで4往復、その後通話で1回約40分、追加取材させてもらった。場所は神奈川県横須賀市の港湾エリア。横須賀は明治期から海軍の港町として発展した歴史があり、戦中・戦後を通じて多くの港湾施設が建てられている。Mさんは「埠頭の倉庫で、夜中に鍵が、内側から開く話」とのこと。場所と歴史はそのまま掲載することになった。勤務する港湾会社の名前と倉庫の正確な番号は本人の希望で伏せ字。本筋はそのまま。

これは7、8年前の話です。

俺は横須賀の港湾会社で、倉庫の管理と荷下ろしの仕事をしてる。

港湾の倉庫は、戦前・戦中・戦後の建物が混在していて、古いものは築80年を超える。

俺が当時担当していた倉庫は、戦後すぐに建てられた、築60年くらいの古い建物だった。

倉庫の鍵は、外側からしか掛けられない構造になっている。

内側からは、ドアを押し開けて出るしかない仕組み。

倉庫に物を入れて、外側から鍵を掛けて、施錠を確認して帰る、というのが日々の作業。

ある夜、俺が深夜の見回りをしていた時に、その倉庫の鍵が、外れていた。

正確には、内側から鍵が回されて、開錠されていた。

外側からしか掛けられない鍵が、内側から回されていた、ということになる。

俺は最初、誰かが倉庫の中に入って、内側から開けて出ていったのだと思った。

ただ、内側から鍵を回せる構造ではなかった。

鍵穴は外側にしかなく、内側にはドアノブと、ドアを押して開ける機構しかない。

それなのに、鍵は内側から回された状態で、外れていた。

俺は倉庫のドアを開けて、中を確認した。

倉庫の中は、夜の電灯の薄明かりだけで、人影はなかった。

荷物は、整然と並んでいた。

倉庫の床に、誰かが歩いた跡もなかった。

俺はドアを閉めて、外側から鍵を掛け直して、見回りを続けた。

翌朝、上司にその話をした。

上司は、勤続30年のベテランの方で、横須賀の港湾の現場には、長く詳しい人だった。

上司は俺の話を聞いて、しばらく黙ってから、「あの倉庫は、たまにある」と言った。

「鍵が、内側から外れる」と。

「いつから?」と俺は聞いた。

「俺が入ってきた頃には、もうそうだった」と上司は答えた。

「だから、たぶん40年以上前から」と。

上司は、その倉庫の歴史について、教えてくれた。

戦後すぐ、倉庫が建てられた頃、米軍の物資の保管場所として使われていた、と。

1950年代の初め頃、その倉庫の中で、横浜から来た日本人の港湾労働者が、米兵との諍いの末、倉庫内で死亡した、という記録が残っている、と。

詳しい経緯は、当時の記録があまり残っていないらしい、と上司は言った。

「亡くなった日本人の方が、内側から鍵を回そうとしている、と俺は勝手に思っている」と上司は付け加えた。

「ただ、それを言うと、若い従業員が怖がるから、普段は言わないことにしている」と。

俺はその話を聞いてから、その倉庫の見回りの時には、ドアの鍵が外れていないかを、毎回確認するようになった。

頻度は、月に1、2回。

雨の日の翌日に多い、というパターンが、なんとなくあった。

俺はその倉庫を担当していた3年間、合計で20回くらい、内側から外れた鍵を、外側から掛け直した。

鍵が外れている時、倉庫の中には、いつも誰もいなかった。

倉庫が老朽化したため、5年前に解体された。

解体の前日、俺は最後の見回りで、その倉庫の前を通った。

鍵は、外れていなかった。

ちゃんと外側から掛けられていて、解体を待っている状態だった。

俺は、倉庫の前で、5分くらい立っていた。

「もう、外れることはないんだな」と思った。

解体が終わった後、跡地には新しい倉庫が建った。

新しい倉庫では、鍵が内側から外れることはない。

ネットで「横須賀 港湾 心霊」と検索しても、米軍関係や戦後の話はいくつか出てくるけど、特定の倉庫の鍵の話は、ほとんど見つからない。

労働者の間で、口頭で伝わっていただけの話だと、いまでも思う。

解体された倉庫の跡地に、新しい倉庫が建ってから、もう5年が経つ。

新しい倉庫では、鍵が内側から外れることはない。

ただ、去年、新しい倉庫を担当する若い従業員から、別の話を聞いた。

「夜中の見回りで、新しい倉庫の前を通る時に、足元から、何かが見上げているような視線を感じる」と。

新しい倉庫は、地上1階建てで、地下はない。

解体された旧倉庫には、古い地下室があった、と上司は言っていた。

新しい倉庫が建つ時に、地下は埋め戻された、と。

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