言い伝えを守って雄島へ渡った釣り人が、夜明けの島で動かない人影を見た話

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言い伝えを守って雄島へ渡った釣り人が、夜明けの島で動かない人影を見た話
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Tさん(仮名・52歳男性・自営業)から、知人を介して聞いた話。福井の、海の近くで育った人だという。

自分は、子どものころから、雄島の磯で釣りをしています。

あの島に、反時計回りに回ってはいけない、という言い伝えがあるのは、地元の人間なら、みんな知っている。

だから自分は、島に渡るときも、決まった回り方しかしません。釣り場までも、いつも同じ道を行く。

なんで回ったらいかんのか、というのは、誰も、はっきりとは言いません。ただ、いかん、とだけ。

その朝も、まだ暗いうちに、ひとりで島へ渡りました。

空には、まだ星が出ていた。海は、墨を流したみたいに、真っ黒です。

朱い橋を渡って、いつもの磯へ。夜明け前の、いちばん釣れる時間です。

竿を出して、しばらくしたころでした。

潮の匂いと、波の音だけ。いつもの、静かな朝。

少し離れた岩の上に、人が立っているのが見えました。

同じ釣り人かな、と思いました。こんな時間に渡ってくるのは、自分くらいだと思っていたので、珍しいな、と。

その人は、海のほうを向いて、じっと立っていました。竿も、荷物も、持っていない。

微動だに、しない。ずいぶん長いあいだ、同じ姿勢のまま。

声をかけようかと思いましたが、なんとなく、やめました。

釣りを続けて、空が白んできたころ、もう一度そっちを見たら、誰もいない。

岩の上にも、その周りにも、人影はありませんでした。

帰ったのかな、と思いました。でも、島から出る道は、自分の後ろの橋だけです。あの人が帰るなら、自分の横を通るはず。

通った人は、いません。ずっと、海のほうを見ていたのに。

橋も、ずっと視界に入っていた。誰ひとり、渡っていない。

気味が悪くなって、片付けて、橋を渡って帰りました。

橋の上に、濡れた足跡が、点々とついていました。

島のほうへ、向かっていく足跡です。陸から、島へ。

ひとつひとつが、はっきりと濡れていました。いま海から上がってきたばかりの、足のかたち。

自分が来たときには、なかった。自分の足跡は、島から陸へ向かう、帰りのぶんだけのはず。

なのに、島へ入っていく濡れた足跡だけが、橋の真ん中に、いくつも残っていました。

自分は、その足跡を踏まないようにして、陸まで渡りきりました。

あれ以来、暗いうちに島へ渡るのは、やめました。

言い伝えを守っていても、だめなときは、だめなのかもしれません。

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