朝の公園のベンチで会う女の人の話
Rさん(仮名・33歳女性・都内の出版社勤務)から、サイトの体験談フォーム経由で届いた話。2026年2月に最初の投稿があり、その後メールで5往復、追加で取材させてもらった。仮名・地名のぼかしを条件に、掲載の承諾をもらっている。
これは去年の春先から夏にかけての話で、いまも上手く整理できてないんですけど、書いておこうと思います。
私は41歳で、都内の会社で人事の仕事をしてます。採用と労務の両方をひとりで回してる中堅どころの会社です。
1昨年の終わりに離婚して、いまは私鉄沿線の小さな1LDKで1人暮らしをしてます。離婚の理由は、あえて書かないことにします。書いても結局、相手のせいにする話になってしまうので。
離婚した直後の冬は、家にいる時間が長くて、体重が4キロくらい増えたんです。
健保の切り替えやら役所の手続きやらが落ち着いて、生活がなんとなく回り始めた春先に、私は近所の区立公園でジョギングを始めました。
土曜と日曜の朝6時から、40分くらい走るというのを自分のルールにしてます。
平日は仕事で疲れてるので、起きられなくても自分を責めないことにして、週末だけ、と決めたんです。
3月の終わりに、近所のスポーツ用品店で1番安いジョギングシューズを買って、初日はちゃんと6時に起きて走りました。
久しぶりの運動で10分でへばって、あとはほとんど歩いてます。
それでも、家に帰ってシャワーを浴びると、頭の中が軽くなる感じがありました。それで翌週も、その次の週も、続けるようになります。
そのおばあさんに最初に気づいたのは、2ヶ月目くらいの5月の半ばです。
公園の真ん中の池の北側に、桜の木の下のベンチがあります。そのベンチに、年配の女性が1人で座ってました。
60代の半ばくらいで、髪は短くて、薄手のグレーのカーディガンを羽織ってます。手提げのバッグを膝の上に置いて、池の方を見てる。
私が走り抜けるとき、視線は合いません。
翌週の土曜も、同じベンチに同じ姿勢で座ってました。次の日曜も、その次の土曜も、です。
毎回、私が走り出して2周目に入る6時15分頃に、必ずあのベンチにいます。
早起きの常連さんなんだろう、くらいにしか思ってませんでした。
6月に入った頃、私が2周目で前を通りかかったときに、女の人の方からおはようございます、と小さく声をかけてきたんです。
私も走りながら返しました。
その次の週末は、私の方から先に会釈をします。少しずつ、走り終わったあとにベンチの前で水を飲みながら、2、3言だけ話す関係になっていきました。
今日は涼しいですね、というような短いやり取り。名前も住所も聞いてません。私からも家庭の話はしません。
7月の最初の土曜の朝です。
その日は走り終わって、ベンチの端をお借りして座らせてもらいました。
女の人が、ペットボトルのお茶を1口飲んでから、ふっとこちらを向いて言いました。
あなた、ここに来るのは平日にもなる。
私は、土日の朝だけです、と答えました。平日は仕事で起きられないんです、と。
女の人は、そう、と頷いて、しばらく池の方を見ています。
それから、平日の朝にもね、似たような時間に走ってる人がいたのよ、と言いました。あなたによく似てる人で、と。
言われたとき、私は背中の汗が冷えていく感じがしました。
離婚した直後の12月から1月にかけての2ヶ月くらい、私は平日の朝にもこの公園を歩いてた時期があります。
走るのではなくて、ただ歩いて、池の周りを2周くらいして、家に帰る、というのを続けてたんです。
眠れない夜が多くて、5時前に目が覚めてしまう日が続いてたからです。誰にも話してない時期です。
女の人は、別の人なんだけどね、と続けました。あなたじゃない、似てるけど別の人、と。
それから、その人のことを話し始めます。
グレーのスウェットの上下で、白い帽子を目深にかぶってて、左の手首に細い時計をしていて、池の北側の道を反時計回りに2周だけ歩いて、最後にこのベンチの前で立ち止まって、しゃがんで靴紐を結び直してから帰っていく、と。
私が冬の早朝に着ていた服は、元夫が置いていったグレーのスウェットの上下です。
白い帽子は、眠れない目を隠すために被ってました。腕時計は、結婚指輪を外したあと、左手首が落ち着かなくて新しく買った安物。
靴紐を結び直す癖は、当時の私の癖です。膝が悪くて、2周歩くとほどけてくるのが分かっていて、必ずあのベンチの前で結び直してから帰ってました。
女の人は、池の方を向いたまま、別の人だけどね、と、もう一度言います。
声に変なところはありません。普通の年配の女性の、落ち着いた声。
私はお礼を言って、その日はそのまま家に帰りました。帰り道で、足がうまく前に出ません。
翌週からは、コースを変えたんです。同じ区内の別の小さな公園に切り替えて、土日の朝の時間も7時にずらしました。
元の公園には、それ以来行ってません。あのベンチも見てません。女の人がいまもあそこに座ってるのかどうかは、知りません。
あの人が誰なのか、何なのか、私には分かりません。
私の冬の朝を見ていた誰かが本当にいて、その話を別の言い方で伝えてくれたのか、よく似た別の女性のことを話していて偶然細部が1致しただけなのか、本当のところは分からないままです。
事件があったわけでもなくて、追いかけられたわけでもなくて、何かをされたわけでもありません。
ただ、誰にも話してない時期の自分を、他人の口から細かく説明された、というだけの話です。
それだけのことなのに、いまも書きながら指先が冷たくなってます。書きたかったので書きました。それだけです。
― 取材記録 ―
受け取り日
2026年2月(投稿フォーム経由)
追加取材
メールで5往復
掲載許可
仮名・地名ぼかし条件で承諾
編集
自宅最寄り公園・通勤ルート・女性の服装の細部を本人の希望で伏字。本筋は手を加えていない
― 三人のひとこと ―
チヨ毎週末、同じベンチに座ってる年配の人。あれはこっちが定点観測されてる側。
すみ離婚後の朝6時にジョギングする女性をベンチで毎週迎える年配女性、設定として情報量多すぎでしょ。
この話、どうだった?