Aさんの記録・第1話:兄が遺した段ボール箱と、夜明けの電話

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Aさんの記録・第1話:兄が遺した段ボール箱と、夜明けの電話

Aさん(仮名・39歳・関東の地方都市在住・パート勤務)から、サイトの体験談フォーム経由で届いた話。最初の投稿は2026年2月の終わりで、その後メールで7往復、3月にはオンラインの通話で2回、合計2時間ほど追加取材させてもらった。仮名・地名のぼかし・兄の勤務先や具体的な日付の伏字を条件に、掲載の承諾をもらっている。

Aさんは、これからしばらくの間、サイトの書き手であるしら宛てに、自分の体験を順に話していきたい、と最初のメールに書いてくれていた。理由は、そのうちきちんと話す、とも書かれていた。

本記事は、その最初の話。Aさんから届いた、最初に整った形の体験談を、Aさん本人の確認を取りながら、書き手のしらが文章に整えた。Aさんの希望で、本筋は手を入れず、地名や苗字、職業の細部だけを伏字にしている。

長くなる。途中、書き手のしら側で、追加取材の補足を挟む。本人の語りと、取材側の補足を、できるだけ混ざらないように整えたつもりだが、混乱したら申し訳ない。

3年前の冬、私の兄が亡くなった。

兄、と書くと普通の兄妹みたいだが、私と兄は10歳離れていて、私が物心ついた頃には兄はもう家にいなかった。大学進学で家を出て、就職して、そのまま結婚して、関東の別の県の郊外住宅地に家を建てた。年に2、3回しか会わない兄だった。

その兄が、49歳の冬に亡くなった。

死因は急性の心臓のもので、職場のロッカールームで倒れているところを同僚が見つけた、と聞いている。本州の会社員らしい働き方をしていた人だったから、無理がたたったのだと、家族は皆そう言って納得した。

義姉、つまり兄の妻は、葬儀のあと、家を引き払って実家に戻ると決めた。子どもがいなかったし、兄が建てた家は広すぎたのだと思う。

遺品の整理は、義姉と私と、私の母の3人でやった。

整理を始めたのは、葬儀から3ヶ月ほど経った3月だった。

兄の家は、駅から車で15分ほど離れた住宅街にあった。築12年の二階建てで、庭にはモミジが植えられていた。冬枯れの枝が窓から見えた覚えがある。

2階の兄の書斎が、一番ものが多かった。本棚が3つ、机が2つ、それから押入れにぎっしりと段ボール箱が積まれていた。

段ボール箱は、ちゃんとマジックでラベルが書かれていた。「学生時代・写真」「会社・経理書類」「父の遺品」「祖父の手紙」など。兄はそういうところがきっちりした人だった。

3日かけて、ほとんどの箱を開けて、中身を仕分けした。残すもの・処分するもの・私と母で持ち帰るもの・義姉の実家に送るもの。

3日目の夕方、押入れの一番奥から、もうひとつ段ボール箱が出てきた。

その箱だけ、ラベルの書き方が違った。

マジックではなく、ボールペンで、それも兄の字ではなかった。

箱の上面に、こう書かれていた。

「開けないこと」

義姉は、その箱をしばらく見ていた。

これ、誰の字、と私が聞くと、義姉は、たぶん義父さんの字、と答えた。義父というのは、私の父、つまり兄と私の父親のこと。父は私が中学生のときに亡くなっている。

父の字を、私は実はあまりよく覚えていなかった。年賀状の字くらいしか見たことがなかったし、それも昭和のお父さんらしい雑な字だった気がする。

義姉が、開けないこと、ってあるけど、どうしようか、と私と母を見た。

母は、すぐに、あんた、それは開けない方がええ、と言った。

母は私と兄が幼い頃から、こういうことに関しては妙に敏感な人だった。神社の鈴を鳴らさないとか、夜に爪を切らないとか、よくある類のことを、本気の顔で守る人だった。

義姉は少し困った顔で、でも、中身を確認しないと処分もできないし、と言った。

結局、その箱は、兄の家に置いたままにすることになった。義姉が実家に戻る前に、もう一度3人で集まって決めよう、ということになった。

その夜、私は実家に泊まった。

母と二人で、兄の話をいくつかして、11時前には寝室に入った。

真夜中、電話が鳴った。

家の固定電話だった。実家の固定電話は、私が大学生の頃から番号が変わっていない。

母が起きて出るより先に、私が出た。台所の古い電話で、コードがついている。

もしもし、と言うと、相手は男の声だった。

あの箱、開けたか、と聞かれた。

私は最初、誰だか分からなかった。

兄の同僚が、もしかしたら遺品で気になるものがあるとか、そういう連絡かと思った。

あの、どちらさまですか、と聞き返した。

男の声は答えずに、あの箱、開けてないなら、開けるな、とだけ言って、電話を切った。

切れた音は、実家の古い電話の、ガチャ、というやつだった。携帯電話の通話終了音とは違った。

電話の脇の時計を見たら、3時12分だった。

母が寝室から出てきて、誰、と聞いた。

私は、間違い電話、たぶん、とだけ答えた。本当のことを言うと母が眠れなくなる気がしたからだ。

母も、それ以上は聞かなかった。

翌朝、母にその話をした。

母は、最後まで聞いて、それから、お父さんやろ、と言った。

父は20年以上前に亡くなっている。母は冗談を言うタイプではない。

母が言うには、父は生前、兄に何かを預けていた、ということだった。それが何かは、母にも聞かされていなかった。父が亡くなる少し前に、兄に直接渡した、その時に、これは絶対に開けるな、と言った、らしい。兄はそれを一度だけ、母にチラっと話したことがあったそうだ。

父の何か、を兄が20年以上、押入れの奥にしまっていた、ということになる。

段ボール箱の上面の字も、たぶん父の字だ、と母は繰り返した。

取材ではここで一度、Aさんに区切りを入れてもらった。Aさんは、お父さんのことを話すのが少し辛そうだった。電話の向こうで、しばらく言葉が止まった。私は、無理に続きを聞かなかった。

区切りを入れたあと、Aさんは少し雑談をした。最近の天気の話と、今勤めているパート先の話。普通の会話だった。Aさんは、声のトーンを戻すのに、たぶん5分くらいかかっていた。それは、聞き手の私から見て、よく分かった。

私はその日、それ以上の追加質問はせずに、通話を終えた。

後日のメールで、Aさんは続きを書いてくれた。

続きを書く前に、Aさんは少し前置きをしてくれていた。

父が亡くなったのは、私が中学2年生の春で、もう20年以上前。当時のことは、正確には覚えていません。これから書くのは、たぶんこうだった、という記憶ベースの話です。事実と思い込みが混ざっているかもしれません。それを承知で、しらさんに整えてもらえれば、と思います、と。

これは怪談録の取材として、よくある前置きで、私としてはむしろ信用できる方の話だ。完璧に覚えている、と言い切る投稿者の方が、後で食い違いが出る。

続きの話は、葬儀の3ヶ月後の遺品整理から、始まった。

それから2週間ほどの間、私はその箱のことを、ほとんど忘れていた。

仕事と、子どもの学校のことと、母の家のことで、毎日が普通に忙しくて、20年前の父の話を考える余裕がなかった。

変だったのは、母の方だ。

その2週間のうちに、母から私に、3回ほど電話がかかってきた。

用件は、特になかった。あんた、元気にしとるか、というだけの電話。母は普段、こちらから連絡しない限り、自分から電話してくる人ではない。年に2、3回、誕生日とか、お盆とか、そういうタイミング以外には、電話してこない人だった。

3回の電話とも、夕方の6時前後にかかってきた。

3回目の電話のときに、私は母に、なんかあった、と聞いた。

母は、しばらく黙って、それから、最近、夜中に電話が鳴るんよ、と言った。

誰、と私が聞くと、母は、出てない、と答えた。

母の家の固定電話は、留守電機能が付いていない古い機種だ。母は、電話に出るか出ないか、しか選べない。

夜中の何時、と私が聞くと、母は、3時過ぎ、と答えた。

私は、その時に、自分が真夜中に電話に出たことを、母に話していなかったことを思い出した。

話そうかどうか、迷った。

結局、話さなかった。母を無駄に怖がらせる気がしたからだ。

かわりに、私は母に、その電話、お父さんからかもしれんね、と冗談ぽく言った。

母は、そうやろうな、と返した。

冗談として言ったつもりだったが、母の返答は、真面目だった。

私は、もう少し早く実家に行こう、と決めた。

義姉と私と母で、もう一度兄の家に集まったのは、それから2週間後だった。

義姉はその間に、実家に戻る準備をだいぶ進めていて、家の中はもう半分くらいダンボールに詰められていた。

2階の押入れに、例の箱はそのまま残っていた。

3人で、しばらく箱の前に立っていた。

母が、お父さんが開けるなって言ったんなら、開けない方がいい、と言った。

義姉が、でも、家を引き払うのに、これだけ置いていくわけにもいかない、と言った。

その通りだった。

結局、3人で相談して、箱は開けずに、私の実家に持ち帰ることにした。

箱の重さは、思ったより軽かった。書類が入っているにしてはスカスカで、何かが詰まっているにしては音がしなかった。

私と母で車に積んで、実家に持ち帰った。

車は私の軽自動車で、後部座席のチャイルドシートを外して、その上に箱を置いた。母は助手席に座っていた。

運転中、母は、ずっと窓の外を見ていた。

30分ほどの道のりで、母は、ほとんど話さなかった。

赤信号で停まったときに、母が一度だけ、こう言った。

あの箱、義姉さんに持って行ってもらわんで、よかった、と。

私は、なんで、と聞いた。

母は、義姉さんは関係ない人やから、と答えた。

関係ない、というのは、父の血が入っていない、という意味で、母は使ったのだと思う。

箱には、父から兄への何か、が入っている。義姉が引き継ぐべきものではない。母はたぶん、そう判断していた。

私と母は、父の血が入った人間なので、引き継いでも、まだいい。

そういう論理だったのだと思う。

持ち帰った箱は、母が、お父さんの仏壇の隣の押入れに、そっとしまった。母は、開けないこと、と書かれた面を、外向きに置いた。

その夜から、母の家で、ちょっとしたことが続いた。

大したことではない。

仏壇の蝋燭が、勝手に消える。

火を点けて、線香を立てて、手を合わせて、目を開けると、蝋燭が消えている。風はない。

2回目までは気のせいだと思った。3回目に同じことが起きたとき、母が、これは挨拶やわ、と言った。

挨拶、と私が聞き返すと、母は、お父さんがここにおる、っていう挨拶、と答えた。

母はそう解釈する人だ。

もうひとつ、書いておく。

箱を実家に持ち帰った日の夜、母は、家の中の電話の電源を、切った。

私は、それを翌朝、台所に立ったときに気づいた。電話機の小さな赤ランプが、消えていた。

母に、なんで切ったの、と聞いた。

母は、当分は、夜中に出る用事もないやろ、と答えた。

その日から、母の家の固定電話は、夜は切られている。

携帯は、母も持っているので、緊急時の連絡手段としては問題ない。

真夜中に固定電話が鳴ることは、少なくとも、もうない。

そのほかには、特に何もなかった。

箱は、それから3年、実家の押入れにある。母は86歳で、まだ元気にしている。

取材を続ける中で、私はAさんに、いくつか確認をさせてもらった。

確認したのは、書き手のしらとして、記事に出していい事実と、出してはいけない事実を、線引きするためだ。怪談録の取材では、これがいつも一番神経を使う。

確認したのは、こういう内容。

父親が、兄に箱を渡した経緯。父親の死因。父親の出身地。父親が亡くなる前後に、家で何か変わったことがなかったか。

Aさんは、答えられる範囲で答えてくれた。父親の死因は、肺の病気だった。出身地は、東北の海沿いの町、だが、町の名前は伏せてくれと言われた。父親が亡くなる前後については、Aさんは当時中学生で、よく覚えていない、とのことだった。

Aさんは父の出身地について、東北の海沿いの町、というところまでは話してくれたが、町の名前は伏せてくれと言われた。理由は、町自体が小さくて、出身者の苗字を絞り込めば、家が特定できる可能性があるから、ということだった。

Aさんの旧姓と、今の苗字は、別の苗字だ。私はAさんの本名を聞いていない。仮名のAさんで、最初から最後まで通している。

父の出身地が東北の海沿い、というのは、実は私の方で、少し気になる情報だった。

東北の海沿いの集落には、家ごとに代々受け継がれる「箱」のような風習が、いくつかの地域に残っている、という調査資料を、私は別件で目にしたことがある。風習の中身は地域によって違うが、共通しているのは、家の外には出さない、開けるなと言って次の世代に渡す、という構造だ。

Aさんの父の家系が、それと関係があるかどうかは、現時点では分からない。

これは私の私的な仮説で、Aさんには伝えていない。Aさんを無駄に怖がらせる気がしたからだ。

ただ、Aさんが最後にひとつだけ、追加で書いてきてくれたメールがあった。

父が亡くなる1ヶ月くらい前、父が兄を実家のベランダに呼んで、何か30分ほど話していたことを思い出した、というメールだった。

当時、Aさんは中学2年生で、台所から、ベランダに出ている兄と父の様子を見ていた。父は何かを兄に手渡していて、それを兄がしばらくじっと見ていた、らしい。Aさんは、たぶんそれが、あの箱だったんじゃないかと思う、と書いていた。

父が兄に何を渡したのか、なぜ開けるなと言ったのか、Aさんは今でも知らない。母も知らない。義姉も、兄から何も聞かされていなかった。

兄の遺品の中に、父との手紙のやり取りや、父からのメモのようなものは、ひとつも残っていなかった。これも私からの確認事項のひとつで、Aさんは、義姉と一緒に書斎を整理したときに、そういうものは確かに見当たらなかった、と答えてくれた。

兄は、父から箱を渡されたあとの20年間、その箱について、誰にも何も話さなかった。

母にすら、ほとんど話さなかった。

母が、兄からチラっと聞いた、と覚えているのは、開けるなと言われた、という一言だけ。それ以外は、何も聞かされていなかった。

兄の几帳面さで、20年間、押入れの一番奥にしまったまま、ラベルも書かず、内容物も確認せず、義姉にも告げず、ただ持ち続けた。

これは、兄の几帳面さ、というより、たぶん、父との約束を、兄なりに守った結果なのだと思う。

真夜中の電話は、それ以来、かかってきていない。

箱はまだ、実家の押入れにある。

ここまでが、Aさんから最初に届いた長文の体験談だった。

追加取材で、私はもう少し細かいところを聞かせてもらった。書き手のしらの判断で、本筋には影響しない範囲のものを、いくつか書いておく。

まず、Aさんの実家の家。

関東の地方都市の、駅から徒歩20分ほどの古い住宅地に建っている。築は40年を超える木造の二階建てで、Aさんが生まれる少し前に父親が建てたらしい。Aさん自身は、結婚を機にその家を出て、今は同じ市内のマンションに夫と二人で住んでいる。

実家には、Aさんの母が一人で暮らしている。

母は86歳だが、まだ自分で家事をして、週に2回ほどデイサービスに通うくらいで、介護が必要な状態にはなっていない。

段ボール箱が押入れに置かれているのは、1階の和室。仏壇の隣の押入れの、下段。

箱の上には、母が、白い手ぬぐいを1枚、被せている。

これは私がメールでAさんに、箱を今どんな状態で保管しているか、と聞いた答え。母が、そうしたいと言って、自分で被せたらしい。理由は、母も特に説明しなかった、とAさんは書いていた。

次に、お父さんのこと。

Aさんの父は、生前、東北のある地方銀行に勤めていた。営業職で、転勤が多かった。Aさんが生まれてからも、関東圏の支店をいくつか転々としていて、Aさんが幼稚園の頃に、関東の地方都市に建てた今の実家に落ち着いた、と。

父は無口な人だった。

休日も家の中ではあまり話さない人で、テレビを見るか、新聞を読むか、庭の木の手入れをしているか、のどれかだった、とAさんは振り返っていた。

ただ、兄に対しては、たまに話しかけていた。

息子と娘の差というよりは、年齢の差だったと思う、とAさんは書いている。兄はもう中学生だったから、父にとっては話し相手になる年齢だった、と。

父が肺の病気で入院したのは、Aさんが中学2年生の秋。

入院期間は半年ほどで、最後の2ヶ月は自宅に戻って療養していた。亡くなったのは、Aさんが中学2年生の春。Aさんは父の最後の数ヶ月を、自宅で見ていた。

父がベランダで兄に何かを渡していた、という記憶は、その自宅療養期間のうちのどこかの場面、ということになる。

Aさんは、父が箱を兄に渡した正確な時期を、思い出せない、と書いていた。ただ、桜が咲いていた、ような気がする、とは書いていた。

もうひとつ、書いておきたいことがある。

Aさんから届いた最初の長文の体験談には、書かれていないエピソードが、ひとつあった。

追加取材の通話の最後に、Aさんが、ひとつだけ言い忘れていた、と話してくれた。

母が、箱を実家に持ち帰った日の夜、不思議なことを言った、というエピソード。

母は、箱を仏壇の隣の押入れにしまったあと、Aさんに、こう聞いた。

あんた、お父さんの夢、最近見た、と。

Aさんは、見ていない、と答えた。父の夢は、もう何年も見ていなかった。

母は、お母さんは、ここのところ毎晩見とる、と答えた。

母は、それ以上は言わなかった。

Aさんは、その時は、母が父を懐かしんでいるのだろうと思った。母は父との関係が、晩年は特に良かった、というわけでもなかったらしいが、夫婦としての歴史は長い。父が亡くなって20年以上経って、いろいろ思い出す時期もあるのだろう、とAさんは解釈した。

ただ、その後、Aさんは何度か実家に泊まることがあって、母と少し長く話すと、こんなことを言うようになった。

お父さんが、何かを取りに来ようとしてる、と。

取りに来る、というのは、何を、と私はAさんに聞いた。

Aさんは、分からない、と答えた。母も、はっきりとは言わない、とのことだった。

ただ、母が、箱の上に被せた白い手ぬぐいを、毎月1日と15日に、新しいものに替えている、ということだけは、Aさんは確認できていた。

古い手ぬぐいは、母が、家の裏の小さな焚き場で、燃やしている。

Aさんは、母にその意味を聞いていない。聞かない方がいい気がする、と書いていた。

真夜中の電話は、それ以来、かかってきていない。

箱はまだ、実家の押入れにある。

白い手ぬぐいは、毎月、替えられている。

Aさんは、最後にこう書いていた。

「次に話したいのは、父が亡くなる前の、最後の数ヶ月のことです。」

「その時期に、家でいくつか変なことが起きていたのを、最近少しずつ思い出しているところです。」

「中学生だった私は、深く考えずに過ごしていたんですが、今振り返ると、たぶん、父はあの時すでに、何かのやり取りをしていたんだと思います。」

「箱の中身に近づく話になると思います。気持ちが整ったら、しらさんに聞いていただけますか。」

取材は、ここで一旦終わっている。

Aさんからの追加の話は、また後日、書き手しらが整えてから掲載する。

― チヨから ―

この話、まだ続きがあるんだよ。Aさんが、お父さんが亡くなる前の最後の数ヶ月の話を、整理して話したいって言ってくれてるみたい。たぶん、箱の中身に近づく話になると思うんだ。続きはまた、書き手のしらが整えてから出すから、待っててね。

― 取材記録 ―

受け取り日

2026年2月末(投稿フォーム経由)

追加取材

メール7往復・オンライン通話2回(合計約2時間)

掲載許可

仮名・地名ぼかし・兄の勤務先や具体的な日付の伏字を条件に書面で承諾

編集

市町村名・兄の勤務先・父親の出身町を本人の希望で伏字。本筋は手を加えていない

― 三人のひとこと ―

チヨお父さんは、開けるなって言うただけ、ちゃんとした人やったんやと思うよ。

こわまる3時12分の電話、絶対出たくないやつぅ〜!しかもガチャって切れる古い電話の音とか怖すぎるって!

すみ父親が『開けないこと』って書いてくれてる時点で、もう中身は察してたってことでしょ。

この話、どうだった?

こっちにも、もうひとつ

母の実家の集落で、軒先に吊るしてはいけないものの話

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