父が入院した病院の待合室にいた人の話

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父が入院した病院の待合室にいた人の話

Wさん(仮名・48歳男性・関東の私大職員)から、サイトの体験談フォーム経由で届いた話。2026年4月に最初の投稿があり、その後電話で1回(約50分)、追加で取材させてもらった。仮名・地名のぼかしを条件に、掲載の承諾をもらっている。

これは4年前、父が入院していた頃の話なんですけど。

私は関東の郊外で公立小学校の担任をしてます。当時は26歳で、4年生の学級を持って3年目。

父はその年の春の健診で胃に影が出て、夏に胃癌が分かったんです。地元の市民病院から、隣の市の総合病院に転院することになって、8月の頭から手術と抗癌剤の入院が始まりました。

母は10年前に他界していて、妹は名古屋に嫁いでます。動けるのは私だけ。

担任を持っているので長期の有給は取れません。それでも放課後と休日は、できるだけ病院に行ってたんです。

2学期が始まってからは、授業のあと職員室の片付けを早めに済ませて、16時過ぎの電車で病院に向かう、という流れになります。

父の病室は東棟の7階で、ナースステーションの手前に家族待合室がありました。

10畳ほどの部屋に長椅子が3脚と、自販機と給湯ポットがあるだけ。

家族が術後の説明や点滴の交換を待つ部屋らしいんですけど、私はそこで仕事を広げて、テストの丸付けや学年だよりの下書きをやってる感じです。

その男の人を最初に見たのは、入院して1週間目の夕方です。

私が待合室に入ると、入って右奥の長椅子に、男の人が1人で座ってました。

40代の後半くらいで、グレーの薄いジャケットに、紺のスラックス、黒の革靴を履いてます。

足を組んで、両手を膝の上で軽く重ねて、正面の窓の方を向いてる感じ。雑誌を読むでもなく、スマホを見るでもなく、ただ座ってます。

私は会釈をして、反対側の長椅子の端に座りました。男の人もこちらを見て、小さく頷きます。

誰かの家族なんだろうな、と思いました。

手術前後はご家族が長く待つこともあると、看護師さんから聞いてます。その日はそれだけです。

次に行ったのが2日後の土曜日。

同じ時間帯に待合室に入ると、同じ男の人が、入って右奥の同じ位置に座ってます。同じグレーのジャケットで、足の組み方も、手の置き方も同じ。

私はまた会釈をして、反対側に座りました。男の人もまた頷きます。

気にし始めたのは、2週間目に入った頃です。

月曜の17時、水曜の18時、金曜の19時、と私の時間はばらばらなんですけど、行くたびに男の人が同じ位置に座ってます。

木曜は他の家族の方も待合室に何人かいて、長椅子が埋まることもあります。それでも男の人は必ず右奥の同じ場所にいるんです。

代休が入った火曜の昼間に行った日も、同じ。

長期入院のご家族が顔見知りになる、ということはあると思います。1ヶ月通っても、男の人とは会釈以上のやり取りはありません。

何の家族なのかも、分からないままでした。

父の容態が良くなかったのは、9月の下旬からです。

抗癌剤が効かなくて、10月の頭に主治医から年内の話を聞きました。私は校長と教頭に事情を話して、引き継ぎの算段を始めたんです。

父は10月の終わりに亡くなりました。入院から3ヶ月弱です。

葬儀は地元の斎場で、家族葬でやりました。妹夫婦と、父の兄である伯父、母方の叔父叔母、いとこが2人、合わせて10人ほど。

通夜のあと、控え室で食事を出してもらって、父の話をしてました。

伯父が、入院中の見舞いに何度か来てくれていて、その流れで待合室の話になったんです。

あの待合室にいつもいた、グレーのジャケットの男の人、覚えてるか。

伯父の方から、ぽつりとそう言ってきました。

私は箸を止めます。覚えてます、毎日いました、と答えました。

すると、隣に座っていた叔父も、ああ、と頷いて、あの人ね、と言いました。

叔父は仕事の都合で土曜日に2、3度しか見舞いに来られなかった人です。それでも、土曜日のたびにあの男の人を見ていた、と言います。

いとこの1人が、誰の家族なのか看護師さんに確かめたことがある、と話し始めました。

返ってきたのは、そういう常連の方はいません、長くいらっしゃるご家族には必ず病棟から声をかけます、ということだったそうです。

それで、そういうものか、と思って、それ以上は踏み込まなかった、と言ってました。

4人が同じ男の人を、別々の日に、同じ位置で見ていた、ということになります。

誰1人、その人と話したことはありません。家族同士でも今まで話題にならなかっただけです。

控え室の話はそこで別の話に移って、伯父は父の若い頃の話を始めました。

49日のあとに、私は半休をもらって、お世話になった病棟へ挨拶に行きました。

話の終わりに、東棟の家族待合室のことを、それとなく聞いてみたんです。

主任さんは少し考えて、首を振ります。あの待合室を毎日使う方は、その時期はおられませんでした、家族の方が長くいらっしゃっていれば必ず病棟から声をかけます、と丁寧に説明してくれました。

誰だったのか、いまも分かりません。父が亡くなって4年経ちます。

年度末の引き継ぎや、学年が変わって担任を外れる時期になると、ふと、あの右奥の長椅子の輪郭だけが頭に浮かびます。

誰かの家族を待っていた、生きた人間だったのかもしれません。何かの目的があって毎日あの病院に通っていた、ということもありえると思います。

ただ、伯父も、叔父も、いとこも、私も、その人と一度も口をきかないまま、それぞれ別の日にあの位置の輪郭だけを覚えて帰ってきた、ということなんです。

授業の合間に、ふっと思い出すことがあります。

子どもたちの宿題を見ながら、教室の右奥を一度だけ目で追ってしまうような感覚。

あの位置に長椅子はないんですけど、体だけが、なんとなく覚えてます。

― 取材記録 ―

受け取り日

2026年4月(投稿フォーム経由)

追加取材

電話で1回(約50分)

掲載許可

仮名・地名ぼかし条件で承諾

編集

病院名・父親の入院期間・待合室の特徴を本人の希望で伏字。本筋は手を加えていない

― 三人のひとこと ―

すみ家族待合室にいつも同じ男、誰の家族なのか結局誰も知らない、ってもう待合室じゃなくて舞台ですよ。

こわまるぴゃっ、お父さんの入院でただでさえしんどいのに隅に座られてたら俺なら病院変えちゃうよぉ。

チヨ総合病院の待合室っていうのはね、生きてる人だけがいる場所じゃないんだよ。

この話、どうだった?

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