夕方のスーパーで会ったおばあさんの話
Nさん(仮名・44歳女性・関西で事務のパート勤務)に話を聞いたのは2026年1月。サイトの体験談フォームから連絡をもらい、その後メールで2往復でやりとりした。仮名・地名のぼかしを条件に掲載の承諾をもらっている。
これは去年の秋のことなんですけど、近所のスーパーで会ったおばあさんの話を書きます。
私は1000葉の住宅地に住んでいて、夫と6歳の娘との3人暮らし。
娘は保育園の年長で、平日は朝8時半から夕方5時半まで預けてます。私は専業主婦で、午前中に家のことを済ませて、3時半過ぎに自転車で出る、というのが平日の流れでした。
スーパーは家から自転車で7分くらいの中規模の店で、鮮魚と冷凍がそこそこ揃ってます。水曜と金曜が、お刺身の半額シールが早めに貼られる日なんです。
4時を少し過ぎたくらいに行くと、ちょうどシールを貼り終わったところで、品揃えもまだ残ってます。それで自然と、その2日が私の固定日になってました。
5時前に出れば、保育園のお迎えにも間に合います。
そのおばあさんに最初に気づいたのは、9月の半ばくらいです。
鮮魚コーナーの前で、半額シールの貼られたサバを見比べてたら、横に細身の年配の女性が立ってました。
70代の後半くらいで、薄い水色のカーディガンに、ベージュのズボン姿。手提げのカゴに何も入ってなくて、こっちと同じくサバを見てます。
私は会釈をして、1歩横にずれました。おばあさんも小さく頷いて、それで終わりです。
次の週の水曜にも、同じ場所で会いました。同じ水色のカーディガンで、カゴに豆腐が1丁だけ入ってます。
その次の金曜にも、また顔を合わせたんです。私が来るたびに先に立ってます。
そのうち私は、毎週水曜と金曜の4時過ぎに必ずこの人がいる、と気づきました。常連さんなんだろうな、と思ってたんです。会釈の関係、というのが1番近いと思います。
違和感が出たのは、10月の半ばの水曜です。
サバを見たあとに冷凍コーナーに移って、餃子と冷凍ブロッコリーをカゴに入れました。
冷凍庫の扉をしめて振り向いたら、私のカートのすぐ横に、あのおばあさんが立ってたんです。
私のカートに片手を軽く添えて、もう片方の手でカゴを持ってます。半歩、私の方に体を寄せてました。
私は驚いて、すみません、と小さく言いました。おばあさんは私の顔を見て、にこっと笑います。
それから、私のカートの中を一度見て、また私の方を向いて、ゆりちゃん、元気にしてる、と言いました。
娘の名前は、ゆりです。
私はとっさに何も言えませんでした。
娘はその時、保育園にいます。スーパーに連れてきてません。カートの中には食材しか入ってません。財布も鞄も出してませんし、子どもの写真をぶら下げてるわけでもありません。
私はそのおばあさんに、自分の名前すら言ったことがありません。
おばあさんは私の返事を待たずに、カートから手を離して、ゆっくりお肉のコーナーの方へ歩いていきます。
私は冷凍コーナーの前で、しばらく動けませんでした。冷気が足元から上がってきて、靴下のなかが冷たかったのを覚えてます。
レジを済ませて、駐車場まで行ってから、私は店に戻りました。
サービスカウンターで店長を呼んでもらって、毎週水曜と金曜の4時過ぎに、薄い水色のカーディガンを着た細身のおばあさんがいませんか、と聞いたんです。
店長はレジのパートさんにも確認してくれて、3人とも、そのお客さんに心当たりがない、と言います。常連でその年代の女性は他にいる、ただし服装も背格好も違う、ということでした。
店長は親切な人で、念のため防犯カメラも確認してくれました。事務所の小さなモニターを1緒に見せてもらいます。
映像の中の私は、確かに冷凍コーナーの前にいます。冷凍庫の扉を開けて、餃子を取り出して、扉をしめて、振り向きます。
私の横には、誰もいません。私のカートにも、誰の手も添えられてません。
私が独りでカートの取っ手を見つめて、しばらく動かないでいる映像が、ただ流れてました。
店長は何も言いません。私も、ありがとうございます、とだけ言って、家に帰りました。
夜中に夫にだけ話したんですけど、夫は、勘違いか、似た人を毎週見てたんじゃないか、と言ってました。
私もそうかもしれない、と思います。映像にあの人がいなかったのは、本当のことです。
次の週の水曜と金曜は、買い物の時間を1時間早めました。3時過ぎに行ったんです。
鮮魚コーナーには、おばあさんはいません。次の週も、その次の週も、いません。
私はそのまま4時台の買い物をやめて、いまは3時前後に行ってます。
ママ友にも一度だけ、それとなくこの話をしたんです。映像に映ってない、というところまで言ったら、それ夢じゃない、と笑われました。
私もそう思おうとしてます。最近うちは下の子を考え始めてた時期で、たぶん私は色々と気を張ってたんだと思います。
スーパーの冷気と、レジの音と、半額シールの色と、そういう細かいものが頭の中で混ざって、知らない誰かの顔を作ってしまったんだろう、と。そう思おうとしてます。いまも、思おうとしてます。
ただ、ゆりちゃん元気にしてる、と言われたあの声だけは、はっきり覚えてます。
低くもなくて、高くもない、普通のおばあさんの声。何度思い返しても、夢の中の声には聞こえません。
― 取材記録 ―
受け取り日
2026年1月(投稿フォーム経由)
追加取材
メールで2往復
掲載許可
仮名・地名ぼかし条件で承諾
編集
スーパー名・所在地・おばあさんの服装の細部を本人の希望で伏字。本筋は手を加えていない
― 三人のひとこと ―
チヨ保育園に預けてる子の名前、近所のおばあさんが知ってる。それは普通じゃないよ。
すみ毎週会うの、向こうがスケジュール把握してるってことでしょ。気づいてください。
この話、どうだった?