通勤路の角でいつも立ってる人の話
2026年2月、サイトの体験談フォームに匿名で寄せられた話。後日、本人(Iさん・仮名・32歳男性・都内の広告代理店勤務)に連絡を取り、DMで4往復で追加取材をさせてもらった。仮名・地名のぼかしを条件に掲載の承諾をもらっている。
これは去年の、自分の通勤路で見かけた人の話なんですけど。
自分は東京の郊外に建売の戸建てを買って、妻と子どもの3人で暮らしてます。
仕事はIT系のSEで、独立系のSIerに勤めてます。コロナの前は客先常駐で毎日出社してたんですけど、最近は週2回の出社で、それ以外はリモートワークというのが定着してきました。
最寄駅まで家から徒歩15分の住宅街です。
家を出るのは大体7時半。住宅街の中の細い路地をいくつか曲がっていくのが最短ルートでした。
途中に小さな公園があって、その先のT字路の角に、築40年くらいの古い平屋が1軒あります。両側を建売の2階建てに挟まれた、前の世代の家がそのまま残ってる感じの平屋なんです。
庭の松が伸び放題で、雨どいが少し外れかけてます。
その平屋の塀の前に、老人が立ってたんです。
最初に気づいたのは、出社日の火曜日だったと思います。
70代後半くらい、ベージュのジャンパーに、グレーのスラックス姿。手ぶらで、塀に背中をつけるでもなく、ただ路地の方を向いて立ってます。
会釈しようとしたんですけど、目は合いません。視線は自分のもう少し下を見てるみたいでした。
最初はご近所の方かな、と思って通り過ぎたんです。
次の出社日も、同じ時間に同じ場所に立ってました。同じジャンパーで。さらに次の出社日も、同じ。
雨が降った木曜日も、傘も差さずに同じ場所に立ってます。スラックスの裾が濡れてました。
自分が通り過ぎる時、老人は顔を少しだけこちらに向けます。目線は合いません。
自分が3歩ほど通り過ぎた頃に、後ろからじっと見てる気配がするんです。
一度だけ振り返ったら、たしかに視線がこっちを追ってました。それ以来、自分は振り返らないようにしてます。
気持ちが悪くなってきたのは、5月の連休明けです。
台風並みに風が強い朝に出社する用事があって、自分はカッパを着て家を出たんです。
あんな天気でいないだろう、と思いながらT字路の角まで来たら、老人はいました。
同じジャンパー、同じ位置で、傘も差さずに立ってます。髪は濡れていません。それが妙に引っかかりました。
その日から、自分は通勤ルートを変えたんです。家を出て南東の方に一度回り込んで、駅まで遠回りで歩く道に切り替えました。
15分が20分くらいに伸びるんですけど、そのT字路を通らずに済みます。これでもう見ないだろう、と思ってました。
新しいルートに変えて3日目の朝のことです。
細い坂を下ってコンビニの前の交差点まで来た時、向かいの自販機の横に、老人が立ってました。
同じジャンパーで。距離は30メートルくらい、顔ははっきり見えます。間違いなく、T字路の角にいた人。
視線は、自販機ではなくて、自分の歩いてくる方向に向いてました。
自分はそのままコンビニに入って、しばらく雑誌コーナーで時間を潰しました。10分くらい経ってから外を覗いたら、老人はもういません。
その日の出勤は遅刻ぎりぎりでした。
この話を、週末に妻にだけしたんです。妻は、ちょっとご町内で聞いてみる、と言ってくれました。妻は保育園の送り迎えで、ご近所のお母さんたちと話す機会が自分より多いんです。
その週の日曜日、ゴミ集積所の前で妻が隣のブロックのおばさんと長話してました。自分も少し離れたところで、雑草を抜くふりをして聞いてたんです。
妻が、T字路の角の平屋の前に老人が立ってる、ベージュのジャンパーで、と切り出すと、おばさんは少し黙ってから、ああ、と言いました。
あの人ね、似てる人がいたのよ、と。
おばさんの話だと、5年くらい前に、その平屋の2軒隣に住んでた方が亡くなったそうです。名前までは出てきません。
介護してた娘さんは家を畳んで遠くに引っ越して、その家はいま空き家とのこと。
生前、その方は朝の決まった時間に同じ場所に立つ癖があって、ご近所では有名だったらしいんです。徘徊ではなく、ずっと同じ場所、ということを、おばさんは何度も繰り返してました。
妻が、最近うちの主人が見てる人もそんな感じで、と言うと、おばさんは少しだけ笑って、似てるんでしょうね、と言いました。
それ以上は踏み込みません。亡くなった方ですよ、と断定する言い方ではなくて、似てる人がいる、というだけの言い方なんです。
自分も、それ以上聞いてもしょうがないと思いました。
その後、自分はまた別の道に変えました。3本目のルートです。
今度はバス通りまで一度出て、表通りを歩いて駅まで行く道にしてます。住宅街の路地を一切通らないルート。
これで見かけることはなくなりました。今のところは、です。
引っ越しは考えてません。家を建てたばかりで、ローンもこれからが本番です。
あの老人が誰なのか、自分には分かりません。亡くなった方なのか、よく似た別人なのか、おばさんの記憶違いなのか、どれもありえると思います。
ただ、雨の日も台風の日も同じ場所に立ってる人を、ご近所の住民と呼べるのかどうかは、いまも答えが出てません。
3本目のルートに変えてから、もう半年以上経ちます。
出社日の朝に表通りを歩いてると、たまに横の路地の奥が気になって、つい目を向けてしまいます。何も見えない日がほとんどです。
ただ、何度かに一度、奥の方に薄いベージュ色がちらっと見える時があって、その日は路地を見ないようにして、駅までまっすぐ歩くようにしてます。
― 取材記録 ―
受け取り日
2026年2月(投稿フォーム経由)
追加取材
DMで4往復
掲載許可
仮名・地名ぼかし条件で承諾
編集
勤務先・通勤ルート・現場の交差点名を本人の希望で伏字。本筋は手を加えていない
― 三人のひとこと ―
すみ別の道選んでも先に立ってる、ってもう物理を超えてますよ。早く引っ越したほうがいい。
チヨT字路の角、ああいう場所はね、立ってる側じゃなくて見てる側が選ばれるんだ。
こわまるぴゃっ、毎朝とか無理だってばぁ、俺ならリモート勤務に切り替えるよぉ……。
この話、どうだった?