アパートの隣に住んでた人の話
2026年2月、サイトの体験談フォームに匿名で寄せられた話。後日、本人(Yさん・仮名・34歳女性・名古屋市内の食品メーカー勤務)に連絡を取り、DMで5往復で追加取材をさせてもらった。仮名・地名のぼかしを条件に掲載の承諾をもらっている。
これは5年くらい前、私が名古屋に転勤になったばかりの頃の話なんですけど。
当時、私は28歳で、入社して5年目に初めての転勤辞令が出ました。
配属先は名古屋の支店で、入居する社宅もないので、自分でアパートを探すことに。
会社の借り上げ枠で家賃補助が出るのが80000円までで、その範囲で名古屋駅から私鉄で30分くらいのところに、築20年の木造2階建てのアパートを見つけたんです。
1階に3部屋、2階に3部屋の小さい建物で、私の部屋は2階の真ん中。
引っ越したのは4月の頭です。両隣にも人が住んでるのは、玄関前の表札と郵便受けの名前で分かってました。
挨拶に行こうかどうか少し迷ったんですけど、最近は単身の女性は挨拶に行かない方がいいと友達から聞いてたので、結局そのまま済ませてしまったんです。両隣ともいちおう男性の名字でした。
最初に違和感があったのは、引っ越して1週間目の朝です。
私が出勤のために玄関を出てドアの鍵を閉めてたら、隣の部屋のドアもちょうど開いて、男の人が出てきます。
40代の半ばくらい、痩せていて、グレーのジャージの上下を着てる。
私は会釈だけして、階段の方へ歩きます。男の人は何も言わずに、私の後ろから階段を降りてきました。
私が郵便受けを覗いて、何も入ってないのを確認して外に出ると、男の人もそのまま外に出てきて、私と同じ方向に歩き始めるんです。
1言も話さずに、半歩くらい後ろをついてくる感じでした。
30メートルほど先の角で、男の人はコンビニに入っていきます。私はそのまま駅まで歩きました。
たまたまだろう、と思ってました。実際、たまたまだったんだと思います。その日は。
次の日も、ほぼ同じことが起きるんです。
私が玄関を出ると、隣のドアが開いて、同じジャージの男の人が出てきます。階段を1緒に降りて、コンビニまで1緒に歩きます。
私が朝にどこを歩くか、知ってるみたいな出方なんです。
3日目も、4日目も、同じ。
週末になって、土曜日の朝はゆっくり寝るつもりで8時くらいまで布団にいたんですけど、私が顔を洗って玄関を出た瞬間に、隣のドアが開きました。
その頃から、夜中に隣の部屋からテレビの音が漏れることが、何度かあったんです。
台詞までは聞き取れない、低い音だけ。木造の薄い壁ごしに、布団の中まで届いてきます。
私が寝返りを打つと、隣の音もぴたっと止まることがありました。気のせいだったかもしれません。
そこからは、外で会う頻度がだんだん増えていきます。
残業で夜の10時近くに帰ってきた日に、玄関の前の廊下で、男の人がポストの前に立ってこっちを見てたこともあります。
郵便受けを開けてる素振りでもなくて、ただこちらの足音を聞いて出てきたように見えるんです。
私が会釈をすると、男の人も小さく頷いて、自分の部屋に入っていきます。
一度、ゴミ出しの朝に、男の人と階段で鉢合わせしたこともあったんです。
私が燃えるゴミの袋を持って降りてたら、男の人が下から登ってくる。すれ違うときに、男の人がぼそっと、今日はいつもより早いね、と言ってきました。
私はとっさに、おはようございます、とだけ返して、そのまま下まで降ります。心臓が、ゴミを置く頃にはまだ鳴ってました。
私の出勤の時間を、覚えられている、と気づいたのはそこです。
そのあとから、できるだけ家にいる時間をずらすようにしました。
残業がない日も会社の近くのカフェで時間を潰してから帰ったり、休日に出かけるときは始発に近い電車で外に出たり。
それでも、月に2、3回は、玄関を出るタイミングが偶然のように重なります。
私が偶然だと思っていただけで、向こうにとってはたぶん偶然ではなかったと思います。
夏の終わり頃に、私は会社にお願いして、別のアパートに引っ越しました。理由は適当な、近くで工事が始まってうるさいから、ということに。
隣の人については誰にも話しません。話しても、それだけで何か事件があったわけでもないので、上手く伝えられる気がしなかったんです。
新しいアパートはオートロックのマンションで、駅の反対側。引っ越してから、夜にぐっすり眠れるようになりました。
その後、私は名古屋には3年いて、東京に戻ってきました。あれから何年も経ってます。
隣の男の人がその後どうしたのかは、分かりません。たぶん、私が出ていったあともあのアパートにいたんじゃないかと思います。
つい去年のことなんですけど、出張で大阪に行ったときに、ホテル近くのコンビニで似た背格好の男の人を見たんです。
グレーのジャージではなくて、普通のシャツでしたし、年齢ももう少し上に見えました。たぶん別人だと思います。
たぶん、というのは、ちゃんと顔を見ていないからです。
レジで会計をしてる横顔がちらっと視界に入った瞬間に、足が動かなくなって、そのままお茶のペットボトルを持ったまま、雑誌のコーナーで5分くらい立ってました。
私が動けるようになったときには、その人はもう店を出ていたんです。
あれから、似たような背格好の中年の男性が視界に入るたびに、いまでも一瞬、足が止まります。
コンビニでも、駅のホームでも、会社の廊下でも、同じ。
本人ではないと頭では分かってます。それでも、体の方が先に反応します。
あの人が誰だったのか、どういう人だったのか、いまも私は何も知りません。
知らないまま、こうやって、いまも体だけが覚えています。
― 取材記録 ―
受け取り日
2026年2月(投稿フォーム経由)
追加取材
DMで5往復
掲載許可
仮名・地名ぼかし条件で承諾
編集
アパート名・最寄り駅・隣人の特徴の一部を本人の希望で伏字。本筋は手を加えていない
― 三人のひとこと ―
こわまるうひゃあ、隣の人が普通に見えるのが一番怖いんだってばぁ!
すみ「最初は普通の人だと思ってた」っていう前置き、もうこの時点でアウトでしょ。
この話、どうだった?