しらの調査ノート・第1話:取材帰りに、同じ自販機の前を3度通った話

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しらの調査ノート・第1話:取材帰りに、同じ自販機の前を3度通った話

これは、怪談録の書き手・しら自身の話。

普段は他の人の話を聞いて整える側だが、今回は自分の身に起きたことを、一旦記録しておきたくて書く。シリーズとして続けるかは、まだ決めていない。少なくとも今書ける範囲を、第1話として残しておく。

普段、私は怪談録の取材で、投稿者から届いた話を整える仕事をしている。整える、というのは、誤字を直す、という意味ではなくて、本筋を残しながら、特定リスクのある情報を削ったり、文章のリズムを整えたりする、という意味だ。元の語り手の人柄が伝わるように、できるだけ手を入れすぎないようにしている。

そういう仕事を続けていると、自分の身に起きたことを書く、というのが、実はかなり居心地が悪い。

他人の話なら、私は冷静に整理できる。自分の話だと、整理しているそばから、思い出したくないことが浮かんできて、書く手が止まる。

それでも、今回は書こうと決めた。

理由は、書かないでおくと、たぶん私の方の記憶が、勝手に上書きされていくから。書き手の経験則として、そういうことが、ある。投稿者の方の話を整えていると、本人の記憶と、後から知った情報と、第三者の感想が、時間の中で混ざっていくのを、何度も見てきた。

2026年4月の上旬、私は北関東のある郊外住宅地に、ひとりの投稿者を訪ねていた。それが、すべての始まりだった。

投稿者は40代の男性で、サイトのフォーム経由で長文の体験談を送ってきてくれた人だった。話の中身については、その人の許可がまだ整っていないので、ここでは詳しく書かない。短く言えば、自宅で起きた連続的な異変の話で、家族構成や場所の特定リスクが高く、取材を進めるかどうか、私自身がまだ判断しきれていない案件だった。

その日は、対面で1時間半ほど話を聞いて、夕方の5時前に、その人の自宅を辞した。

帰りは在来線で2時間ちょっとの行程だった。

私は車を持っていない。取材は基本、電車かレンタカーで動く。その日もICカードと、文字起こし用のICレコーダー、ノート、ペン、それから財布だけを持って出ていた。

取材時のメモの取り方も、書いておく。

私は、対面の取材ではICレコーダーを必ず使う。投稿者の許可を取った上で、テーブルの上に置いて録音する。録音と並行して、紙のノートに、相手の表情・口調・話の濁し方・沈黙のタイミングを書き留める。これは、文字起こしには出てこない情報で、記事の整え方を決めるときに大事になる。

その日の取材でも、私はICレコーダーをテーブルに置いて、ノートを膝の上に開いていた。投稿者の方は、最初は緊張していたが、30分くらい経つと、表情がだいぶ柔らかくなった。途中で、奥さんがお茶を出してくれた。私はそれを2杯、いただいた。

1時間半の取材のうち、最後の20分は、投稿者の方が、自分の体験を整理し直すような語り方をしていた。録音を聞き返してみると、最後の20分の方が、最初の1時間より、明らかに情報の密度が高い。これは取材後にだいたい気づくことで、取材の最後の20分は、いつも、聞き手として一番神経を使う。

私はその日、取材を終えたあと、玄関で投稿者の方と、奥さんに、お辞儀をした。奥さんが、お疲れさまでした、と言って、駅までの道を簡単に教えてくれた。住宅地の細い道を、駅の方角に向かって、まっすぐ15分、と。

投稿者の自宅は駅から徒歩で15分ほどの場所にあって、私は来た道を歩いて駅まで戻ろうとしていた。住宅地の細い道で、夕方の5時を過ぎて、空はもう薄暗かった。

歩き始めてすぐに、自販機の前を通った。

古いタイプの飲料の自販機で、缶コーヒーが並んでいる方の機種だった。光沢の薄れた青い筐体で、左下の隅に小さくダイドーのロゴがあった。私は喉が乾いていたので、缶のお茶を1本買った。120円だった。

そこから、住宅地の道を10分ほど歩いて、駅前に出る道を曲がった、つもりだった。

5分ほど歩いた先に、また同じ自販機があった。

同じ、と書いたが、最初に通ったときと、寸分違わず同じだった。光沢の薄れた青い筐体、左下の小さなダイドーのロゴ、左から3番目に置かれた赤いコーンスープ、その隣に欠品中の白い表示。私は欠品中の場所まで覚えていた。

私は最初、似た自販機が並んでいるのだと思った。地方の住宅地ではよくある。同じ業者が同じ機種を同じ並びで設置することは、ある。

ただ、自販機の脇に置かれていた段ボールの空き箱が、最初に見たときと同じ角度で、同じ場所にあった。「ポッカ」とプリントされた、潰れかけの段ボールで、上の部分が三角に折れていた。

偶然にしては、似すぎていた。

私はGoogleマップを開いて、現在地を確認した。

確認したマップ上では、私は最初に自販機を通った場所から800メートルほど離れた地点にいる、ことになっていた。

地図を見る限り、私はちゃんと住宅地を抜けて、駅前の道に向かって歩いていた。

マップ上の現在地と、目の前の自販機が一致しない。

不可解だが、地方の住宅地でGPSがズレることは、ないわけではない。古い住宅地では、衛星の受信状況が悪くて、現在地が大きく飛ぶことがある。私はそれまでの取材でも、何度かそういう経験があった。

私は自分にそう言い聞かせて、また駅の方向に向かって歩き始めた。

歩きながら、ICレコーダーで、その日の取材のメモを音声で残した。普段は自宅に戻ってから整理するのだが、その日は、何となく、忘れる前に音声で残しておきたい気がした。

音声メモを取りながら歩いていると、自分の声と、住宅地の静けさのコントラストが、妙にはっきり耳に残った。車の音はほとんどしなかった。誰かの家のテレビの音も、聞こえてこなかった。

住宅地の静けさ、と書くと、雰囲気のある表現に聞こえるかもしれないが、その日の静けさは、雰囲気というより、空白だった。何かが抜けている、というふうに感じた。

5分後、3度目の自販機が出てきた。

3度目は、もう完全に同じ自販機だった。

段ボールの折れ方も、欠品中の表示も、左から3番目の赤いコーンスープも、同じ。

私はそこで、初めて、自分が変なことに巻き込まれている、と認めた。

3つの自販機が、同じ業者・同じ機種・同じ並び・同じ段ボール、というのは、確率としてはほぼゼロに近い。地方の住宅地で、3つ並んで、同じ角度の段ボールが置かれている、というのは、誰かが意図的に揃えていない限り、起きない。

誰かが意図的に揃えていた、とすれば、それは私のために揃えたことになる。

そんな手間をかける理由が、私には思い浮かばなかった。

私は、自販機の脇に置かれている段ボールに、もう一度目を凝らした。

違ったところがひとつだけあった。

段ボールの上に、白い、四角い紙のようなものが、乗っていた。

私は近寄って、それを手に取った。

名刺サイズの、白い紙だった。

表に何かが書かれていた。

ボールペンで、汚い字で、こう書かれていた。

「もどってください」

私はその紙を、手の中で2、3秒、見ていた。

3度目の自販機の前で、夕方の5時半を過ぎて、空は完全に暗くなっていた。住宅地の街灯が点き始めていた。風はない。人通りは、私が住宅地に入ってからずっと、ほぼゼロに近かった。

私は、紙を段ボールの上に戻した。

戻して、来た道を、ゆっくり戻り始めた。

戻り始めてから1分ほど歩いたところで、私はようやく、自分が変なことをしている、と気づいた。

取材帰りの、見知らぬ住宅地で、白い紙に「もどってください」とだけ書かれていて、それに従って戻る。冷静に書くと、自分でも何をしているのか分からない。

戻った先に何があるのか、書いた人が誰なのか、何ひとつ分からない。

私は立ち止まって、もう一度Googleマップを開いた。

現在地は、最初に自販機を通った場所と、駅前の道の中間に表示されていた。

その時に、私は気づいた。

マップ上では、自販機は道沿いに3つ、確かに存在していた。

住宅地の同じ通りに、80メートル間隔ほどで、3つの自販機がプロットされていた。

同じ機種が、同じ並びで、3つ。

似た自販機が並ぶことはある、と私はさっきまで自分に言い聞かせていた。それが本当だった。

ただ、3つとも、同じ業者が、同じ並びで、同じ段ボールの空き箱まで、置いている、というのは、地方の住宅地でも、たぶんない。

私はその時、引き返すのをやめた。

そのまま、駅の方向に、早足で歩いた。

4つ目の自販機は出てこなかった。10分ほど歩いて、駅前の通りに出た。在来線の改札を通って、ホームで電車を待っているときに、私はようやく、自分の手のひらに変な感覚が残っていることに気づいた。

段ボールの上の紙を、手に取ったときの感覚。

湿っていた。

名刺サイズの紙が、夕方の住宅地で、しっとりと湿っていた。雨は降っていなかった。前日も、天気予報を見る限り、雨は降っていなかった。

電車の中で、私はノートに、その日のことを順番に書いた。

取材中に投稿者から聞いた話と、駅から自宅までの帰り道のことを、混同しないように、別のページに分けて書いた。

取材ノートと、自分の体験ノートを、絶対に同じページに書かない、というのは、書き手として最低限のルールだ。混ざると、後で記事を整えるときに、何が事実で、何が自分の感想か、分からなくなる。

その日のノートも、ちゃんと分けて書いた。今、手元に残っている。

ノートを書きながら、私は自分の手のひらを、何度か見た。湿っていた感覚は、紙の段ボールから移ったのだとしても、もう乾いているはずだった。実際、見た目は乾いていた。ただ、感覚としては、薄く湿った何かが、まだ手のひらに残っている、というふうに、自分には思えていた。

これは、書き手として正直に書く。

感覚として、私は、その日、不快だった。

怖かった、というよりは、不快だった。誰かに、見えない場所から、紙を1枚、押しつけられた、という感じが残っていた。

自宅に戻ったのは、夜の8時を過ぎていた。

取材で気を張っていたせいか、その夜はすぐに眠ってしまった。

ここまでは、たぶん「夕方の住宅地で、似た自販機が3つあって、変な紙を見つけた」だけの話だ。

怪談として書くには、正直、弱い。

私が今これを書いている理由は、その後の数日間に、続きがあったからだ。

翌日の朝、私は普段より早く目が覚めた。

枕元の時計を見ると、5時14分だった。

取材帰りで疲れていたはずなのに、9時間ほど寝て、目が覚めたら、頭が妙にはっきりしていた。何か、強い夢を見た気がしたのだが、内容は思い出せなかった。

夢の中で、誰かに、何かを返してください、と言われた、ような気が、薄っすら、した。

覚えていない。

私は近所のコンビニまで、いつもの散歩がてら、コーヒーを買いに行った。

コンビニの自販機コーナーを通ったときに、隅に置かれた段ボールの空き箱に、白い紙が乗っていた。

私は、たぶん5秒くらい、その場で固まった。

近寄って手に取ると、ただのコンビニのレシートだった。前日の夜の、別の客のレシートが、風で段ボールの上に乗っていただけだった。

これは、何でもない。

その日は、何でもなかった。

翌日と翌々日、私は普段通りに過ごした。原稿の整理をして、別の投稿者とのメールをやりとりして、夜は普通に眠った。前日の住宅地のことは、ノートにまとめた段階で、いったん頭の引き出しの奥にしまった、つもりだった。

2日後、私は仕事で、自宅から私鉄で1駅の場所にある、いつものカフェに行った。原稿の整理のために、月に何度か使うカフェだ。

そのカフェは、駅前のビルの2階にあって、1階に自販機コーナーがある。ビルのテナントの社員さん向けで、朝の8時前後と、夕方の5時過ぎは、人がそれなりにいる。

私が行ったのは、午後2時前後で、ビルの中はかなり静かだった。受付のカウンターには警備員さんが座っていて、私を見ると軽く会釈をしてくれた。月に何度か通っているので、顔を覚えてもらっている。

カフェに入る前に、ビルの一階にある自販機コーナーを通った。

そこに、ダイドーの、光沢の薄れた青い自販機があった。

左から3番目に、赤いコーンスープが入っていた。

その隣の場所が、欠品中の白い表示になっていた。

私はそのカフェに、月に何度か通っている。

カフェに入る前に、自販機コーナーを通っている。

その自販機は、その日まで、私の記憶ではダイドーではなかった。少なくとも、左から3番目が赤いコーンスープではなかった。

私はそのカフェに、月に2、3回は行く。原稿の整理は集中するので、自販機の品揃えまで、毎回確認しているわけではない。ただ、左から3番目が赤いコーンスープだったら、私は気づいたはず、だと思う。コーンスープは冬以外は珍しい商品で、4月の中旬の自販機に並んでいるとしたら、それなりに目立つはずだ。

私の記憶では、その自販機の左から3番目は、緑のお茶だった。

切り替わっていた。

私は、自販機の前で、しばらく動けなかった。

段ボールの空き箱は、置かれていなかった。

白い紙も、なかった。

その日、私はカフェに入って、原稿の整理をして、夕方に帰った。

カフェにいる間、私は、自販機のことを、なるべく考えないようにしていた。考えると、また手のひらに、湿った感覚が戻ってくる気がしたからだ。

原稿の整理は、いつもより遅くなった。普段なら2時間で終わる作業に、4時間ほどかかった。集中できなかった、というのが正直なところだ。

カフェを出るときに、私はもう一度、自販機コーナーを通る、しかなかった。ビルの入口がそこにしかないからだ。

帰り道に、もう一度自販機の前を通った。

左から3番目の赤いコーンスープと、隣の欠品中の白い表示は、そのままだった。

私は、その日、カフェの自販機の写真を、撮らなかった。

写真を撮ることを、何度か考えたのだが、撮らなかった。撮ると、その自販機を「自分の中で確定させてしまう」気がしたからだ。確定させずに、ただ通り過ぎた、ことにしておきたかった。

これは、後で考えると、書き手として、たぶん正解ではなかった。証拠を残すべきだった。残せなかった理由は、たぶん、私自身が、まだ怖かったから、だと思う。

そのあとの数日、私は、自宅から徒歩圏の自販機を、できるだけ通らないようにして過ごした。コンビニも、入る前に、入口横の自販機の方を見ないようにした。これは、たぶん、書き手として、まずい兆候だった。普段の生活で、見ないようにする対象が増えていく、というのは、何かに取り込まれかけている、ということだ。

過去の取材で、似た状態の投稿者の方を、私は何人か見ている。ある対象を「見ないように」する習慣がついて、その対象が、生活の中で少しずつ広がっていく。最初は鏡、次は窓、次は他人の影、というふうに。

私の場合は、自販機だった。

翌週、私は別の取材で、首都圏の別のターミナル駅に行った。駅の改札を出てすぐの自販機コーナーに、ダイドーの、光沢の薄れた青い自販機が、ある場所にある。場所は、伏せる。

私はその時、左から3番目を、見ない、と決めた。

見ないで、改札を出て、目的地まで歩いた。

そのターミナル駅の自販機の前を、見ないで通り抜けたとき、私は、自分が決めたルールを、何とか守った、と思った。左から3番目を、見ない。それが、その日、私が自分に課した、唯一のルールだった。

取材は順調に終わった。投稿者の方は、別の投稿者からの紹介で、対面の取材を受けてくれた方だった。話は2時間ほど聞いた。住宅地の取材とは、別件の話で、関連はない。

取材から戻って、自宅に着いたとき、私は玄関のポストに、何か入っているのに気づいた。

名刺サイズの、白い紙だった。

表には、何も書かれていなかった。

裏に、ボールペンで、こう書かれていた。

「もどってください」

字は、住宅地で見つけた紙と、同じ汚さだった。

私は、今、その紙を、手元の引き出しに入れている。捨てるかどうかは、まだ決めていない。

住宅地で見つけた紙は、段ボールの上に戻したまま、私は触らずに帰ってきた。あれは、今、たぶんもうどこかに、なくなっている。

ポストに入っていた紙は、住宅地で見つけた紙と、同じ字、同じ汚さ、同じインクだった。

同じ人が、書いている。

その人が、住宅地から、私の自宅まで、私を追いかけてきた、ということになる。

これは、書き手として、ちゃんと書く。

怖い。

これが、4月の終わりまでの、私の身に起きたこと。

取材中に投稿者から聞いた話と、私の身に起きたことに、関係があるのかどうかは、現時点では分からない。

ただ、住宅地での取材から、3週間で、私は3度、同じ自販機の構成を見ている。1度は、自分の生活圏で。1度は、別のターミナル駅で。1度は、最初の住宅地で。

この経過を、私はノートに、ちゃんと残している。日付・時刻・場所・自販機の機種・並び・段ボールの有無・紙の有無を、表にして書いた。表は、4月の終わりまでに、5回分のデータが並んでいる。

表を作りながら、私は、これは取材の手法だな、と気づいた。

書き手として、私は、投稿者の話を整えるとき、いつもこういう表を作る。日付・場所・登場人物・違和感の出方を、表で整理して、共通点を探す。これを、自分の体験について、自分でやっていた。

これが、たぶん、書き手として、自分を守る方法なのだと思う。

表を作って、整理して、文章にする。文章にすると、対象が、一旦、自分の外に出る。外に出ると、少し冷静に見られるようになる。

これは、書き手としての記録として残しておく。

あとひとつ、書いておくべきことがある。

4月の終わりに、私は、住宅地で取材した投稿者の方に、連絡を取ろうとした。私の身に起きた話を、共有すべきか、迷っていた。投稿者の方の体験談と、私の体験に、関係があるなら、私は記事を書くべきではない。関係がないなら、書いてもいい。その判断を、本人に直接聞きたかった。

メールを送ったが、返信がこなかった。

3日後にもう一度送ったが、返信はこなかった。

1週間後、メールサーバーから、エラーが返ってきた。投稿者の方の登録メールアドレスが、無効になっていた。

サイトの投稿フォームに登録された電話番号にも、念のためかけた。番号は、繋がらなかった。

これは、変に解釈する話ではなくて、たぶん、投稿者の方が、メールアドレスと電話番号を、自分の意思で変えただけ、だと思う。サイトの投稿者の方が、取材の途中で連絡を絶つ、というのは、年に数件はある。私はそれを、責めたりはしない。話したくないなら、話さなくていい。

ただ、結果として、私は、投稿者の方の体験談と、私の体験に、関係があるかどうかを、確認できなくなった。

続きを書くかどうかは、これから、もう少し様子を見て、決める。

いずれにせよ、私は、自販機の前で、左から3番目を見ないように、しばらく気をつけて歩く。

引き出しの中の紙を処分するか、保管し続けるか、近いうちに、決めなければいけないと、思っている。

― チヨから ―

しら、今回は自分のことを書いたんだね。書きながら、何度か手が止まってたの、見てたよ。引き出しの紙、あれはあんたが決めたタイミングで処分すればいいと思うんだ。続きは、また書きたくなったら書けばいいから。無理しないでね。

― 取材記録 ―

取材日

2026年4月上旬(北関東の郊外住宅地)

記録

取材帰りから4月末までの、書き手・しら本人の体験ノート

掲載許可

投稿者の話は許可未取得のため詳細を伏字。書き手側の体験のみ記録

編集

路線名・市町村名・カフェのある駅名を伏字。本筋は手を加えていない

― 三人のひとこと ―

チヨ「もどってください」って書いた手は、しらに何かを返したかったんやろうね、たぶん。

こわまる同じ自販機が3回って、もうそれだけで無理だってぇ!しらさん引き出しの紙、ちゃんとお祓い案件じゃなぁい!?

すみ自販機3つに連続3回引き当てる確率、もう取材じゃなくて誘導でしょ。逆取材ですよこれ。

この話、どうだった?

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