実家の井戸の縄を外してしまった話

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実家の井戸の縄を外してしまった話

Eさん(仮名・52歳女性・関西の会社員(実家は中国地方の山あい))から、サイトの体験談フォーム経由で届いた話。2026年2月に最初の投稿があり、その後電話で1回(約1時間)、追加で取材させてもらった。仮名・地名のぼかしを条件に、掲載の承諾をもらっている。

これは父の葬儀の頃の話で、もう3年ほど前のことなんですけど。

私は転勤族で、20代から関東のあちこちを回ってきたんです。

実家は関東北部の県境にある古い家で、父が1人で住んでたんです。母は10年ほど前に亡くなっていて、私は長男なので、いずれ家を継ぐ話にはなってます。

父が82で心筋梗塞で倒れて、葬儀のために久しぶりに実家に帰ったんです。

うちは集落の中ではそれなりに古い家で、敷地が無駄に広いです。

母屋の裏に蔵と物置があって、その奥にもう1段下がった土地があります。そこに古い井戸が残ってるんです。

江戸時代に掘られたものらしくて、いまは使ってません。コンクリートの蓋がしてあって、その上から太い縄が井桁に巻いてあるんです。

縄は何年かに一度、近所の神社に頼んで取り替えてもらう、というのが祖父の代からの決まりです。

子どもの頃、私は父からその井戸には近づくな、と何度も言われてました。理由は教えてもらえません。

葬儀は親族と近所の方だけの簡単なものだったんです。

通夜の前の昼間に、少し時間が空いたんです。私は喪服のまま、煙草を吸いに庭へ。物置の脇を通って、奥の井戸の方まで歩いたんです。

子どもの頃の感覚で、ふと見たくなりました。

井戸まで来て、私は一度足を止めたんです。

井桁に巻いてあるはずの縄が、ほどけて地面に落ちてたんです。

コンクリートの蓋の上は何もなくて、縄だけが脇の土の上にとぐろを巻いてるんです。

風で外れるような結び方ではなかったはずです。雨で湿って腐ってる様子もなくて、縄自体はしっかりしてます。

私は、誰かが触ったんだろうか、と最初は思ったんです。

葬儀の準備で出入りが多かったので、業者の人が誤って引っ掛けたのかもしれない、と。それで、縄を一度持ち上げて、元に戻そうとしたんです。

ただ、結び方が分かりません。井桁に巻く独特の結びで、私はそれを見てきただけで、自分でやったことがないんです。

手がうまく動かなくて、結局、縄を蓋の上に乗せただけにして、その日は戻ったんです。叔父にあとで聞こうと思ってました。

その夜は、母屋の奥の和室で布団を敷いて寝たんです。父が使ってた部屋です。

明け方の3時くらい。家の裏の方で、コツン、コツン、と何かを叩くような音がしたんです。

最初は雨だれかと思いました。でも、その日は晴れてます。

音はしばらく続いて、それから止みました。私はそのまま朝まで寝られないまま。

翌日の通夜のあと、親戚が帰って、家には私1人になったんです。

次の夜も、同じ時間に同じ音がしたんです。

3日目の夜は、音のあとに、廊下の方で人が歩くような気配がしました。

足音そのものは聞こえないんですけど、廊下の床がわずかに軋む感じが、奥の方からこっちに近づいてくるんです。

襖の前で止まって、そのまま、何分かそこにいる気がしました。

私は布団の中で目だけ開けて、襖を見てたんです。やがて気配は引いていきました。

葬儀が終わって4日目に、父の遺品整理を始めたんです。

仏壇の引き出しを開けたところに、封筒が1通入ってたんです。表に私の名前が書いてありました。

中は便箋1枚で、父の字。家のことについていくつか書いてあって、最後の一行に、井戸の縄は絶対に外すな、とだけありました。下線が引いてあったんです。

それを読んで、私は手が冷たくなったんです。

父が私に何かを書き残すこと自体、これまでなかったからです。

その日のうちに、叔父に電話したんです。父の弟で、隣の県に住んでます。

井戸の縄が葬儀の日に外れてた、と話したら、叔父はしばらく黙ってました。

それから、お前、夜に何か聞かなかったか、と聞いてきたんです。私は、聞きました、と答えたんです。

叔父が言うには、祖父が亡くなった年に、叔父も同じ目に遭ったらしいです。

当時、叔父はまだ30代で、葬儀の片付けで実家に泊まったときに、井戸の縄が外れてるのに気づいた、と。

その夜から夜中に音がするようになって、結局、近所の神社の宮司に来てもらって、縄を結び直してもらったらしいです。それで音は止んだ、と言ってたんです。

叔父はそのことを、これまで一度も私に言わなかったんです。父にだけ伝えていた、と。

父はその後、自分が死ぬときが来たら長男に伝える、と決めてたみたいです。それで仏壇にあのメモを残していたんだと思います。

叔父はその週末に車で来てくれたんです。神社の宮司にも声をかけてくれて、3人で井戸まで歩いたんです。

宮司は、縄を新しいものに取り替えて、井桁に結び直してくれました。短いお祓いもしてもらってます。

私はそのあいだ、井戸の蓋を見てたんです。蓋の表面に、人の手のひらくらいの大きさの汚れが、1箇所だけついてたんです。雨ではついていないように見えました。宮司は何も言いません。

その夜から、家の音は止みました。叔父は次の日に帰っていきます。

帰り際に、長男のお前にも1応言っておくが、と前置きしてから、井戸を埋めるとか動かすとか、そういうことは絶対にするな、と言われたんです。

集落の年寄りの何人かが昔、井戸を埋めた家であまり良くないことが続いた、という話を聞いたことがある、と。本当のところは分からない、とも言ってたんです。

家はいま、空き家のままにしてます。私はまだ転勤先にいて、49日と1周忌のときに戻っただけ。

縄は、毎年神社に頼んで取り替えてもらってます。井戸のことだけは、たぶん私の代でも何もしないと思います。

― 取材記録 ―

受け取り日

2026年2月(投稿フォーム経由)

追加取材

電話で1回(約1時間)

掲載許可

仮名・地名ぼかし条件で承諾

編集

集落名・実家の屋号・井戸の正確な位置を本人の希望で伏字。本筋は手を加えていない

― 三人のひとこと ―

チヨ井戸の縄を外しちゃったとき、戻し方を知ってる人が周りにいなかったのが本当に怖いところ。

こわまるやだやだ、封印の縄って書いてある時点で外しちゃダメなやつだってばぁ、相続早々アウトじゃん……!

すみ父の葬儀で帰省して敷地の奥の井戸を確認しに行く息子、その動線が一番不思議ですよ。

この話、どうだった?

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