赴任先の中学校の音楽室の話

📖 約6分
赴任先の中学校の音楽室の話

Mさん(仮名・38歳女性・瀬戸内地方の中学校で音楽教員)から、サイトの体験談フォーム経由で届いた話。2026年1月に最初の投稿があり、その後メールで4往復、追加で取材させてもらった。仮名・地名のぼかしを条件に、掲載の承諾をもらっている。

これは新任の頃の話で、私が大学を出てすぐ、瀬戸内の港町の公立中学校に赴任したときのことなんですけど。

私は地元の音大を出て、2十三のときに音楽の教員として採用されたんです。

配属先は希望していた市内の中学校ではなくて、車で40分ほど離れた、海に近い小さな町の学校でした。

生徒数は300人くらいで、音楽の専任は私1人。前任の先生が3月で退職されて、その後任という形で4月から入りました。

その町は、戦時中に軍の街として大規模な空襲を受けたところです。

中心部は一晩でほとんど焼けて、多くの民間人が亡くなったらしいです。

私が赴任した中学校も、もとあった校舎が焼失してから戦後に建て直されたもので、敷地の隅には小さな慰霊碑が建ってました。

赴任の挨拶のときに教頭から教えてもらったんです。私は出身が山陰の方なので、その辺りの歴史にはあまり詳しくありません。

音楽室は本校舎の3階の、いちばん端。

窓からは旧市街と港が見える位置で、日中は明るくて気持ちの良い部屋でした。

グランドピアノが1台と、合唱用の段差つきの椅子が並んでいて、奥に楽譜の資料室がついてます。

新任のうちは授業準備に時間がかかるので、放課後の部活動が終わったあとも、私はよく音楽室に残って翌日の譜読みをしてたんです。

その日は6月の半ばで、吹奏楽部の指導が終わったあとに、夏のコンクールの伴奏譜を確認していました。

生徒も先生もほとんど帰ってしまって、校舎には警備の用務員さんと私くらいしか残っていません。時計を見ると、夜の9時を少し過ぎてました。

私はピアノに向かって、1人で弾いていたんです。

電気は教卓の上の蛍光灯と、ピアノの譜面灯だけつけていて、部屋全体は薄暗いです。

何度か通しで弾いて、指を休めようとして手を止めたとき、視界の左の端に何かが入ったんです。

資料室の扉の横、ちょうど壁と楽譜棚のあいだのあたり。

子供が立ってました。

背の低い、小学校に上がる前くらいの男の子に見えたんです。半袖のシャツのような白い服を着ていて、こちらを向いて、両手を体の横に下げてます。

顔まではっきりとは見えません。蛍光灯の光が届かないので、輪郭が暗いほうに溶けて見える感じでした。

私はびっくりして、ピアノの椅子の上で固まってしまったんです。

なんでこんな時間に子供がここにいるのか、頭が追いつきません。

声を出そうとして、いったん視線をピアノの鍵盤の方に落としたんです。

落ち着いてから、もう一度顔を上げて隅を見たんですけど、そこにはもう誰もいません。資料室の扉も閉まったまま。

そのあと私はすぐに楽譜をまとめて、職員室には寄らずに音楽室の鍵を持って出たんです。

階段を降りる足が変に重くて、踊り場で1回立ち止まった気がします。

用務員さんに鍵を返すときに、ほかに残ってる生徒はいませんよね、と聞いたんです。用務員さんは、もう1時間前に最後の子が帰った、と言うんです。

私は、見間違いだろう、譜読みで疲れていたんだろう、と思うようにしたんです。

その週はそれきり何もありません。気のせいだったと自分に言い聞かせて、また放課後の音楽室で残業をするようになったんです。

次に見たのは、その週末から10日ほど経った夜。

たまたまその日も、9時を少し過ぎたくらいの時間に、私は同じようにピアノを弾いてました。

手を止めて譜面に書き込みをしようとしたとき、また左の隅に気配を感じたんです。

顔を上げると、前と同じ場所に同じ子供が立ってました。同じ白っぽい服で、同じように両手を下げて、こちらを向いてます。

今度は、これは見間違いではないと思いました。

それでも私は、息を止めて視線を鍵盤に戻したんです。10秒ほど数えてから、もう一度顔を上げました。

そこには誰もいません。

翌日、私は職員室で、隣の席の社会科の先生に小さい声で話しました。

30代の女性の先生で、この学校に10年近くいる方です。

私が、音楽室の隅に子供が立ってる気がした、と話したら、その先生は手を止めて、少しだけ黙りました。

それから、やっぱりまだ出るんだね、と言ったんです。

その先生によると、音楽室で同じような話をする先生は、私の前にも何人かいたらしいです。前任の先生も、退職する少し前に同じような話をされていた、と聞きました。

場所もだいたい資料室の横の隅で、見える時間帯も夜の9時前後が多い、ということでした。

学校が建つ前のあの一帯が、空襲のときに防空壕になっていて、たくさんの人がそこで亡くなったらしい、という話も、その先生は教えてくれました。

本当のところはもう確かめようがないみたいです。

ただ、年配の先生たちのあいだでは、夜遅くまで音楽室に1人で残るのは避ける、という暗黙のことになってたんです。新任の私には、誰も先に言ってくれませんでした。

その夏のあいだ、私は放課後の譜読みを職員室でやるようにしました。それきり、音楽室では何も見ていません。

私はその学校に3年いて、いまは別の中学校に異動になりましたけど、あの音楽室に夜遅くまで残ったのは、結局あの2回だけです。

あの子がいまもあの隅に立ってるのかどうかは、私には分かりません。

― 取材記録 ―

受け取り日

2026年1月(投稿フォーム経由)

追加取材

メールで4往復

掲載許可

仮名・地名ぼかし条件で承諾

編集

勤務先校名・所在地・前任者の名前を本人の希望で伏字。本筋は手を加えていない

― 三人のひとこと ―

すみ新任の音楽教員が夜のピアノ練習中に隅の子供を見ても翌日も練習行く、新人の責任感の使い所そこじゃないでしょ。

チヨ瀬戸内の港町の中学校の音楽室。あれはピアノに呼ばれる側と呼ぶ側、両方いるんだよね。

この話、どうだった?

こっちにも、もうひとつ

東北の古い旅館に泊まった話

次の話を読む →